「主の日を聖別する」
(出エジプト20:8-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 第四戒において、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」と主は命じられました。「聖とする」とは、区別する、取り分ける、という意味です。もともと、人間とはかけ離れた存在である神の属性を表す言葉ですが、その神のために人や物などを区別することを聖別すると表現します。天地を創造されたとき、そのわざを休まれた第七日を神が聖別されたように、あなたがたもこの日を聖別しなさい、ということです。
 この戒めを理解する上で心に留めるべきことは、これはイスラエル社会全体に対する戒めであるという点です。家族全体、地域社会全体に「この日を聖別する」という共通理解があって初めて、個々人がこれを守ることが可能となります。
 その意味において、異教社会にある現代の日本の国において、私たちキリスト者が主の日を聖別することは、なかなか難しいものがあるでしょう。私たちの家族をはじめ、世の人々は十戒の教えとは異なる論理のもとで生きているからです。
 そこでなお、この戒めを守ろうとするとき、そこに信仰の戦いが必要です。この世は私たちに対して、主の日を聖別することを止めさせようとします。そのような中で、主の日を聖別することは、「イエスこそ私たちの主人です」という信仰を告白することを意味します。
 それができるのは、私たちが神に救われ、聖なる民とされているからです。主イエスが十字架で命をかけて私たちを買い取ってくださり、神のもの、聖なる民としてくださいました。その恵みに答えて、私たちは自らの存在をかけて、「あなたこそ私の主」と告白していくのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)