2012年 10月・牧会日記

植木鉢 10月 7日(日)(写真はこちら

 今日は年2回行っているファミリー礼拝でした。いつものCSは合流となり、子どもも一緒に家族揃っての礼拝でした。普段の礼拝にはおいでになっていない教会員のご家族も何にか出席されました。教会の礼拝には初めてというご家族もおられ、名前を覚えて祈っていた方でしたので、よりいっそう嬉しく思いました。ご家族一緒においでになり、いつもよりは早めにご家族一緒にお帰りになることができるようにとの配慮で、今日は午後のプログラムは一切なくし、昼食の用意もありませんでした。たまにはこういう日もいいですね。
 このようにご家族がおいでになる礼拝が、特別な日だけでなく、そのほかの主日にも!と願っております。


植木鉢 10月 9日(火)

 昨日は聖化大会・仙台大会が仙台青葉荘教会で行われ、午前の集会だけ出席しました。これまで教区の集会などもあり、ほとんど出席したことがありませんでした。きよめ派の教会の先生方が受付や司会、証しなどさまざまな奉仕をしておられる中で、何も奉仕をせずにただ出席するだけで申しわけなさを感じながらですが、自分の能力(キャパシティー)や奉仕の優先順位を考えて、これで仕方がないなあと思っているところです。青葉荘教会はチャペルの空間が広々としていて気持ちよく、講壇の声もマイクを通してとてもよく聞こえます。改めて、「いいなあ」と感心しました。
 集会は、他教団の有名な先生のメッセージでした。昔のホーリネスのきよめのメッセージを伺っている感じでした。3週間前の東北教区のクリスチャンミーティングで島津先生によって語られたきよめのメッセージとはだいぶ違う感じで、私たちの教団のきよめ理解そのものが変わってきていることを改めて実感させられるときでした。私個人としては、もちろん良い方向に変わってきているものと思っています。
 今日は、教区会が岩手県金ヶ崎にある「みどりの郷」で行われました。担当教団委員の中西雅裕先生も出席され、仙台で中西先生と福島教会の田中先生を車にお乗せして参りました。年に2回、北は青森県の弘前、三沢から、南は福島から、ほぼ中間地点にある岩手県のみどりの郷に集まります。遠い先生方は高速を飛ばして2時間30分~3時間ほどかけておいでになります。仙台からは車で1時間30分ほどですから、まだ近いほうです。近況報告や祈りの課題などを分かち合い、来年の予定などを話し合いました。秋晴れの気持ちのよい日、先月も訪れたみどりの郷も少し秋を感じる風景でした。


植木鉢 10月21日(日)

 今日は午後、今年3回目の縦割り部会を行いました。今回も、会堂問題について話し合いました。まず40分ほどかけて、近年会堂建築が行われた3つの教会の例を学びつつ、私たちの教会の場合はどうなるだろうかという案を説明しました。その後、3つのグループに分かれて、それぞれの感想や意見を分かち合いました。今はまだ、意見を一つにまとめるという段階ではなく、各自がそれぞれの思いを語り合うということを目ざしての話し合いです。ですから当然、いろんな意見があります。このような話し合いがとても有意義だなあと思われたのは、他の参加者の意見を聞くことによって、自分の意見が少しずつ修正されたり、新しい発想が与えられたりすることです。一歩ずつのゆっくりとした歩みのように思えますが、この地道な話し合いが実はとっても意義があることを今日も思わされたことでした。このような話し合いの中に、主が働いていて下さるように思い、感謝しています。

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植木鉢 11月 4日(日)

 11月の第一日曜日、教会暦でいう「聖徒の日」に合わせて、毎年、故人記念礼拝を行っています。いつもご遺族の方々に案内を差し上げていますが、今年も教会員だけでなく、未信者のご家族の方々が数名出席されました。午後は、召された方々の写真を飾り、軽食をいただきながら、故人の思い出を語っていただきました。年に一度、毎年この日だけは礼拝に出席されるという方もおられます。何とか教会につながり、神さまにつながって欲しいと願っております。



植木鉢 11月 5日(月

 今日、ずっと行きたいと思っていた気仙沼と陸前高田に行ってきました。気仙沼の被災状況を示す一つのシンボルとなっている、陸に上がった大型漁船が年内に解体撤去されるかもしれないということなので、今後の予定や天候などを考えると、「今日しかない!」と思って行きました。
 私はこれまで仙台に来てからまだ一度も気仙沼に行ったことがありませんでした。高速道路を使って約2時間30分、運転が嫌いな私にとってはとても遠い地なのですが、震災後、一度気仙沼を見てみたいとずっと思っていました。残念ながらこれまで行くことができず、まもなく震災から1年8ヶ月になろうとしている今日、やっと行くことができました。ボランティアに行くわけでもなく、県外からの来訪者と同じく、まさに被災地観光なのですが、テレビや写真だけでなく、実際にこの目でその様子を見たいと願っての訪問でした。
 最初に行ったのは、打ち上げられた当時のままになっている大型漁船。この船は、震災後に火災が発生して焼け野原になってしまった鹿折(ししおり)地区にあります。気仙沼湾から約600メートルほどの場所。車で行くと、周りは空き地になってほとんど何もない場所に、大きな船の姿が目に飛び込んできました。震災後に不通となっているJR大船渡線の鹿折唐桑駅の目の前です。全長60m、330トンある遠洋漁業用の船だそうです。地元住民の方々の多くは、震災の辛い記憶が呼び覚まされるとして撤去を望んでいるということですが、当然のことだろうと思います。「震災の記憶を後世に残すために保存を!」というのは、直接的な痛みを経験していない者たちの発想なのでしょう。私がこの船の周りを歩いている間にも、秋田や岩手など東北近県から、さらには練馬、浜松、三重などのナンバーの車が来ていました(写真)。
 続いて、港に行きました。気仙沼の町は、南三陸町や女川など、低地一帯が更地になっているような被災地とは違って、町が入り組んでいて海岸近くまで高台が迫っているため、被災状況がひと目では分かりにくく、海岸近くでも建物が結構残っていたりします。ただ、地盤沈下は激しいようで、道路の両側が1m近く下がっていたりします魚市場あたりは、まだまだ復旧工事の途中で、国内唯一のサメの博物館であるリアスシャークミュージアムも閉館されたままでした。 気仙沼出身のS兄からは、「行くんだったら、食事をして、お土産を買って、少しでもお金を使ってくることですね」と言われていましたので、気仙沼プラザホテルの前にあるお魚市場で食事をし、鰹の刺身などのお土産を買いました(写真)。
 昼食後、気仙沼市内から17キロほどの距離にある陸前高田(岩手県)に向かいました。車で30分くらいだったでしょうか。こちらのほうは、平野が広がっているため、被災状況が一目瞭然という印象でした。もともとの町の様子を知らないために、どんなに変わってしまったのかがよくは分からないのですが、それでも地図ソフトで確認すれば、建物がたくさんあった場所がすべて更地になってしまっているのが分かります。まず、建物がまだ残っている陸前高田市役所と道路をはさんでその前にある市民会館に行きました。3階建ての市役所は、屋上に避難した70人ばかりが助かりましたが、3階まで津波が来たために、屋上よりも下におられた方々は皆、犠牲となりました。一方、市役所の向かいにある市民会館は市の指定避難所になっていたため、70~80人が避難していましたが、3階建ての建物がすっかり津波に呑み込まれ、助かったのは十数人だけだったと言われます。多くの犠牲者が出たその建物がまだ生々しく残っていて、津波の凄まじさを感じさせるものでした。
 そのほか、見渡す限りの低い土地は更地が広がり、人が生活している感じが全くない中で、高田高校、県立高田病院、道の駅、市民体育館など、大きな建物が幾つも残っていました。この陸前高田は、今なお震災ガレキの片付けをしている状態であり、復興などとは程遠い印象を受けました。果たしてこの町が、もう一度賑わいを取り戻すときが来るのだろうか。車と工事関係の音しか聞こえない町にたたずみながら、「壊滅状態」「死の町」という表現が1年8ヶ月経った今もそのまま当てはまる、そんな感じがしたことでした。
 ずっと行きたいと思っていたこの二つの町ですが、やっぱり行って良かったなと思います。写真で見るのとは違う、肌で感じるものがあったようです。毎週の礼拝で被災地のために祈り、また家族が揃う夕食のときにも、必ず被災地と原発事故のために行っていますが、せめて主の憐れみを求めて祈ることだけは続けよう、そう思いながら帰ってきました。


植木鉢 11月11日(日

 今日は礼拝の中で、子ども祝福式を行いました。2人の子どもが予定していましたが、1人は風邪のため?お休みでした。4才の女の子、お祈りの間、一生懸命に目をつぶっていました。もうすぐお姉さんになります。はじける笑顔のまま、これからも健やかに育って欲しいなあと思います。
 また、礼拝後、中学生以上の若者たちのグループ“ひそぷ”によるカフェが開かれました。会堂献金のためにと願って、手作りのクッキーやマフィンを用意し、コーヒーを提供します。今回で2回目の“ひそぷカフェ”はとっても好評で、大人の皆さんが喜んで協力して下さっています。会堂のために自分たちに何ができるだろうか?とみんなで知恵を絞りながら、働きを進めています。後から振り返ると、この過程がとっても有意義で、また一番楽しかった!という日が来ることでしょう。皆さんのお祈りに感謝いたします。

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植木鉢 12月 7日(金)

 久しぶりの大きな地震でした。皆さんの地域ではいかがだったでしょうか。地震が発生した午後5時18分、私は車の中でした。実は今日、クラッシュ・ジャパン仙台ベースが継続して支援している相馬の仮設住宅でのクリスマス会が行われるため、朝からボランティアに行っており、その帰りの車の中、仙台市内に入ったところでした。津波警報も出されて心配しましたが、大きな被害もなく、私たちの教会も、また教会員の方々も皆さん無事でした。いつもご心配下さり、ありがとうございます。
 さて、その相馬の仮設住宅でのクリスマス会ですが、私は今日で2回目の相馬ボランティアでした。今日は相馬市大野台仮設住宅にある3つの集会所で、3回のクリスマス会を行いました。これは同盟教団の相馬福音キリスト教会(写真は相馬教会の皆さん)がクラッシュ・ジャパン仙台ベースの協力を得ながら継続してカフェなどを行っている場所です。3箇所の集会所で、午前10時、午後1時、午後2時30分の3回のクリスマス会が行われました(写真)。これらの仮設住宅は、飯舘村や南相馬市から避難して来られた方々が入居しておられます。「クリスマスと言われても、私たちはなかなかそんな気分にはなれない。でも、このように来ていただいてクリスマス会を開いてもらうと、ココにいるときだけでも嫌なことを忘れて、楽しいときを過ごすことができるから有りがたい」、そう言われた女性もおられました。皆さん、言葉にできないような、いろんな思いを心の中に抱えながら過ごしておられるのでしょう。少しでも心が晴れる働きができればと先生方も願っておられます。
 今日と来週(12/14)行われる相馬でのクリスマス会のために、クラッシュ・ジャパン仙台ベースが全国に呼びかけて、500個のクリスマスプレゼントが集められました(詳しくはクラッシュ・ジャパン仙台ベースのホームページを!)。皆さん、とても喜んでおられました。私たちの教団でも、全国の教会に呼びかけたため、たくさんのプレゼントが送られてきたようです。また、尾久教会の山田智朗先生、入間教会の佐藤守彰先生も、今日のクリスマス会のために駆けつけて下さいました。山田先生は週末に奥羽教区の教会で特集のご奉仕があるとのことで、それに合わせて来て下さったとのことでした。お二人の先生、遠くからありがとうございました。私たちの教会のK姉を加えて4人でホーリネスチームの写真を撮りました(写真)。
 そのようにご奉仕を終えて帰り着く頃、大きな地震でした。車の中ではそれほど大きな揺れを感じませんでしたが、教会ではずいぶんと揺れたようです。しかし、モノが落ちるほどではなく、被害はありませんでした。ただ、教会のすぐ隣りのガソリンスタンドは、地震直後から給油する車が列を作り、一時は給油待ちの車が道路にはみでるほどでした(写真)。今、午後9時になって、ようやく少なくなりましたが、それでも閉店間際のいつものこの時間にしては車が多く、まだ少し並んでいます。皆さん、3・11のときのあの大変さを思い出したのでしょうね。これ以上大きな地震が起こらないようにと願うばかりです。



植木鉢 12月10日(月)

 今日は久しぶりに老人ホームに入所しておられる二人のN姉を訪問しました。シオンの園のN姉はメガネの修理や買い物などがありましたので、家内と一緒に3人で外出しました。夏以降、久しぶりの外出でした。また、関東におられるご兄弟に元気であることを知らせるためにも、1枚写真を撮りました。震災後、まだ一度も連絡を取っていませんでしたので、写真を添えてお手紙を書こうと思っています。
 もう一人のN姉は、震災のときに安否を尋ねに行ったとき以来、1年数ヶ月ぶりの訪問でした。お元気そうで何よりでした。クリスマス集会の新来者に差し上げるために準備していた押し花と御言葉が記されたカードを差し上げました。風はありましたが、とても良い天気でしたので、年内に伺うことができてホッとしています。お二人とも85才。ここまで守られていることを主に感謝いたします。

 


植木鉢 12月11日(火)

 今日は久しぶりに若林区のOさん宅を訪問し、おばあちゃまのお話を伺いました。2ヶ月ぶりということもあって、復興に向けて幾つかの変化がありました。一つは、津波の被害にあって住むことができなくなっているお宅は取り壊されることになり、そのために、そのまま残す土間や納屋の部分と、取り壊す母屋に接している部分が壊され、準備がなされていました。行政に委託された業者が取り壊してくれる予定になっているのですが、まだ順番待ちのようで、取り壊しは年明けになる見込みとのことです。もう一つは、畑にビニールハウスが5棟建てられていました。Oさんの仲間の農家さんがお互いに協力して、それぞれの畑のハウスを順番に建てて行ったとのことです。これで、冬の期間も野菜作りが継続してできるようです。また、Oさんの畑の周りの他の家の田畑は、これまでずっと手つかずの状態でしたが、今日行ってみると、雑草がなくなって整備されていました。来年の田植えに向けて準備がなされているようです。
 今日は震災からちょうど1年9ヶ月。ゆっくりとではありますが、それでも一歩ずつ復興がなされていることを見ることができ、嬉しくなりました。



植木鉢 12月16日(日)(写真はこちら

 今日は午後、CSクリスマス会が行われました。第一部の礼拝では、みんなで賛美を歌い、降誕物語のビデオを見ました。休憩をはさんだ第二部では、パソコンとプロジェクターを使ったクイズ、そして恒例となった手品おじさんによる手品。これがいつもとっても好評で、子どもたちがいつも盛り上がります。その後、サンタさんの登場。今年は初めて女性のサンタさん。このサンタさんは、土曜日のゲンキ・キッズ・クラブに小学生の頃ずっと来ていた高校生の女の子がやってくれました。うれしいことです。今日は天気も良く、それほど寒い日ではなかったのですが、例年に比べるとちょっと少ない人数でした。教会の皆さんのご協力に感謝します。



植木鉢 12月23日(日)(写真はこちら

 今日はクリスマス礼拝が行われ、教会員のご家族や初めての方々、久しぶりの方々も集われました。礼拝の中で我が家の二人の娘たちの洗礼式も行われました。主の恵みと憐れみに感謝するとともに、幼い頃からその成長を見守り、育てて下さったCSの先生方、また祈っていて下さった教会の方々に感謝しております。やっぱり、他の方の洗礼式よりも緊張するもので、無事に終えてホッとしております。
 礼拝後、祝会が行われました。受洗のコメント、誕生会、一年を振り返るスライドショー、CSと女性会の賛美、プレゼント交換など、盛りだくさんでした。受洗のコメントの中で、我が家の次女が、「喉に引っかかっていた小骨がとれたような感じでスッキリしました」とコメントしたのが印象的でした。これまで私たち夫婦は、最善の時が来ることを信じて、極力、娘たちに対して受洗を勧めるようなことを言ってきませんでし、教会の方々もよく配慮をして下さって、「いつ洗礼を受けるの?」というような言葉をかけることを控えていて下さいました。それでも、牧師の子どもとして、目に見えぬプレッシャーのようなものを感じてきたのでしょうか。親としても、喉に引っかかっていた大きな骨が取れたような、そんな感じがしています。ただただ主に感謝です。
 明日の夜はイヴ礼拝とキャロリングが行われます。夕方から雪が降り始めましたので、明日はホワイトクリスマスになりそうです。足下が守られて、多くの方々が集いますように。



植木鉢 12月30日(日)(写真はこちら

 年末30日の礼拝でしたが、帰省で戻って来られた方々も久しぶりに出席されたりして、普段と変わらない礼拝となりました。今日の礼拝で、今年、礼拝を一度も休まずに出席された方が5名おられました。礼拝を大切にしようという熱い思いと、主によって健康が支えられたことによって、それが出来たのだと思います。とても嬉しく主に感謝しました。
 礼拝後、若者たちの集まりを行いました。たこ焼きを作り、宅配ピザをみんなで食べました。誰かが最近見たテレビに映っていたピザがどうしても食べたい!というものですから……。食事の後には、東北放送から出された「続・仙台弁かるた」をして楽しみました。付録のCDを流して、東北放送のアナウンサーが読んでくれる札を取るのですが、“いずい”とか“おっぴさん”ぐらいは私でも何とか分かっても、“みだぐなす”“かんまがす”“そべぐった”などの意味はさっぱり分かりませんでした。CDの解説を聞いて、「へえ~、そんな意味なんだあ」とみんなで驚きました。我が家の子たちも4才と2才のときから仙台に住んでいるのですが、分からない言葉が多かったようです。その後、賛美を歌い、お話を聞きました。このような集まりができたことを感謝しています。


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