2012年 2月 牧会日記

植木鉢  2月 5日(日)

 水曜日の夜から木曜日にかけて降った雪で仙台市内も一面雪に覆われました。この二日間で雪かきも進み、礼拝も大丈夫だろうと思っていた昨日の夕方、また雪が降り出しました。大雪になったら朝から大変だ!と思っていましたが、それほどの積雪にはならず、ホッとしました。
 礼拝後、役員会をしている間に、K兄が再びトイレの壁紙の修理をして下さいました。残っていた奥のトイレの壁がキレイになりました(写真)。業者に頼んでもなかなか来ていただけない状況の中、教会の方々の奉仕によって修復されていることを感謝いたします。
 夕方、前から心配していた青森県にある二つの教会の先生方にお電話をしました。弘前の大雪はテレビのニュースで何度も放映されています。弘前教会は川縁にあるため、雪を目の前の川に捨てることができるためいいのですが、問題は近くの道路から教会までの細い道路は除雪車が入らず、しかも駐車場ばかりで雪かきをしてくれる家がないため、白鳥先生が教会の前までの20メートル近くを一人で、その細い道路を雪かきしなければならない、ということです。白鳥先生に聞きますと、昨日は2回にわけて何と7時間も雪かきをしたそうです。これでは疲れてしまって仕事にならないでしょうと申し上げたところでした。今も屋根には1メートルほど雪が積もっているとのこと。毎日のように降るので、雪がやんだら夜でも雪かきをする、そんな日々が続いているようです。ちなみに、昨年10月に私たちの教会から弘前に転居したY兄は元気に教会に通っているとのこと、安心しました。
 続いて三沢教会の上中先生にお電話をしましたら、三沢もかつてないほどの大雪に見舞われているとのことでした。三沢は太平洋側ですので、弘前などに比べると雪が少ないほうだと聞いていたのですが、それでも今年の雪は経験したことがないほどの大雪で、3日の金曜日には朝5時半から6時間も雪かきをされたそうです。機械を使ってなのですが、三沢教会は駐車場が広く、隣の保育園の敷地もありますので、やってもやっても終わらないようです。まもなく75才になられる上中先生には相当ハードなようで、声からもお疲れの様子が伝わってきました。三沢教会に早く後継者の牧師を!と祈祷会で祈っていきたいと思います。


植木鉢  2月 7日(火)

  昨日から今日にかけて、教団本部での会議でした。その新幹線の中で、震災から1年になる時に合わせて、私たちの教会で発行を予定している震災に関する文集(証し集)の原稿を書いていました。本当は5日(日)の締め切りだったのですが、バタバタしているうちに私も完成しておらず、何とか今週中に書き上げようと思い、ノートパソコンを持って行って新幹線の中で書いていました。「あのとき」から始まって、まだやっと三日目の出来事が終わったところ、分量が多すぎでどうしようかと迷っているところです。この機会に、心に残っていることを書き留めておこうと思うと、きりがないくらいです。あれも載せたい、これも載せたいと思うと、発行まで間に合わなくなりそうで困っているところです。
 今日、教団本部のある東村山から帰る際、教団に来ていた、牧師をしている妹と久し振りにお茶をしました。なかなか連絡がつかなくて、諦めて帰ろうと東村山の駅で快速電車に乗り込んだとき、携帯が鳴り、急いで飛び降りました。ギリギリのところで、妹と連絡がつき、駅の近くのファミレスに入りました。二人だけでお茶するのは、たぶん、私が聖書学院の修養生3年生のとき、週末の教会での奉仕(ミッション)に行くついでに、当時社会人であった妹が上京してきて、確か東京駅付近で昼食を一緒に食べた、あの時以来ではないかと思います。いつも顔を合わせてもちょっと言葉を交わすだけで、なかなかゆっくりと話す機会がなかったので、久し振りにお茶することができ、楽しいひとときでした。


植木鉢  2月14日(火)

 日曜日に水道メーターの検針に来られた水道局の方から、「どこか漏水しているようなので、水道設備業者に見てもらって下さい」と言われました。先月よりも水道使用料が多く、水を止めた状態でも、小さなメーターがくるくると回り続けていました。見た目だけでは、トイレやお風呂、幾つかの蛇口にも異常はなく、どこが漏れているのかさっぱり分かりませんでした。
 今朝、近くの業者に電話をしたのですが、「今日は予約がいっぱいで、よそを当たったほうが……」とやんわりと断られました。まだまだ震災の復旧工事があり、さらに寒さによる水道管破裂など、毎日工事の予定が詰まっているようです。そこで、テレビでよくコマーシャルをやってる、“くらし安心〜”というあの会社に電話をし、午前中のうちに来てもらいました。建物の中の水回りを全て調べてもらいましたがどこも異常なし。あとは地面の中を通っている水道管だろうか、そうなると厄介な工事になる、と言われかけていたとき、駐車場の隅っこにある散水栓を業者の方が見つけ、そこから水が出ているのを確認しました。地震や寒さなど、様々な要因で水が出てしまっていたようです。ときどき使う散水栓の存在は知っていたのですが、もう一つ、あんなところに散水栓があるのを今日まで知りませんでした。そばにあるバルブを閉めると、回っていたメーターが止まりました。工事をする必要もなく、ホッとしました。
 それにしても、終わりのない余震の影響なのでしょうか、建物にいろんな影響が今になって出たりしています。先週は娘の部屋が雨漏りをしているため、屋根裏に上って確認すると、部屋のちょうど上の部分に水がたまっていました。外壁か屋根か、どこかのわずかな隙間から雨が入ってきてしまうのでしょう。そのほか、教会のキッチンの電灯がつかなくなってしまったり、玄関の分厚いガラスにヒビが入っているのが分かったり。
 同じようなことは、いろんな家でも起こっているようです。度重なる余震によって、震災直後にはなかったところに亀裂が入ったり、思わぬところにトラブルが出たり。もちろん、ずっと修繕を依頼したまま、順番待ちでいまだにそのままの状態だったり。皆さんのお宅はいかがでしょうか。まだしばらくは忍耐ですね。


植木鉢  2月18日(土)

明日は、T姉が召されてからちょうど1年となります。そこで、私は明日は福島教会で奉仕となるため、今日、T姉のお宅を訪問し、ご主人に挨拶して参りました。ご主人は、息子さんと共に昨年11月の故人記念礼拝にも出席されました。体調を崩しているご家族がおられるため、慌ただしくしておられるようです。T姉の遺されたご家族の上に、主の祝福と救いがもたらされるように、お写真の前
でお祈りしてきました


植木鉢  2月21日(火)

 今日、一ヶ月ぶりに傾聴ボランティアに行ってきました。前回伺ったとき、津波による塩害で枯れてしまっている杉の木を伐採する予定であると伺っておりましたが、今日一ヶ月ぶりに伺うと、すでに全ての木が切り倒されていて、風景が変わってしまっていたために、車で右折する場所が分からずに戸惑ったほどでした。写真のように、先月まであった木が全てなくなっていました。私が着いたとき、おばあちゃまが木の切り株を一つ一つ眺めていて、涙を流しておられました。一つ一つに思い出があり、その大切な思い出がまた一つ失われた、そういう悲しみです。
 このような家の周りに植えられた木は、仙台平野では有名な、「いぐね」と呼ばれるもので、風雪から家屋敷を守るために、敷地を取り囲むようにして植えられた屋敷林のことを指します。私が伺っているお宅では、100本ほどの杉の木が植えられていましたが、その全てが塩害のために伐採されてしまいました。
 その一方、今日は、冬の間しばらくお休みしていたクラッシュ・ジャパンのボランティアの方が田畑の整備(津波による石やゴミを取り除く作業)のために2名来ておられました(写真)。私も顔なじみの、ずっとボランティアを続けておられるお二人です。これから週2回の予定でおいでになると言っておられました。まだまだ風が冷たいのですが、それでも、畑のボランティアが再開されたと伺い、春に向けて少し動き出した、そんな感じを与えてくれました。


植木鉢  2月25日(日)

 朝起きたら、予想していなかった大雪でした。お昼過ぎまで降り続き、仙台の正午の積雪は13センチ、この冬一番の積雪とのことでした。今日は国立大学の受験日。この雪で受験生は大丈夫だろうかと案じつつ、無事を祈っておりました。
 午後のゲンキ・キッズ・クラブ(土曜学校)のために、玄関付近だけでも雪かきをしておこうと思い、昨日で期末テストが終わった次女に手伝ってもらい、30〜40分で玄関は片付きました(写真)。
 午後、雪の中でしたが、いつも来ている近所の子どもたちが集まり、分級の時間に雪遊びをしました(写真)。その間、私は駐車場の雪かきをしましたが、今年一番の積雪とあって、雪を積み上げる場所がなくてちょっと困りました。それにしても、たった13センチでこんな具合ですから、弘前や三沢の先生方がいつもどんなにご苦労しておられることだろうかと改めて思わされたことでした。こちらの場合、玄関や駐車場の雪かきで合わせて2時間もかかっていないはずです。青森の先生方は、6〜7時間かかることもあるとのこと。天気予報を見ると、青森は今日も明日も雪のようです。お疲れのことでしょう。明日の主日のご奉仕が守られますように。


植木鉢  2月27日(月)

 震災から1年になろうとしている今、震災に関連する本を幾つか読んでいます。ちょっと前は、震災に関するものを読もうとする気持ち、気力が薄れていたのですが、今再び、この時期を逃しては、読まないままで終わってしまうのではないかという思いになり、買い込んでいた本を読んでいます。

 その最近読み終えた本の一つに、以前もご紹介したことのある、哲学者の鷲田清一氏が最近書かれた『語りきれないこと−危機と痛みの哲学−』(角川学芸出版)があります。自らも阪神大震災を経験した著者が、被災者に対してどのように寄り添うべきなのかを書いておられます。その中で、今回のような大きな喪失体験は、自分の存在のアイデンティティーが崩壊し、自分についてのストーリーの語り直しがどうしても必要となってくると言います。その語り直しというものは、自分ひとりではできず、それを聞いてくれる人、伴走者のような存在が必要だというのです。その伴走者の態度として必要なことは、その人が自らを語りきることができるよう、「ひたすら聴くこと」であると。ココで書かれていることは、私たちの教会が2年続けて重点課題としている「牧会し合う私たち」にも示唆を与えるものでした。というのは、この本の中で、聞き手がしてはならないこととして挙げられている内容が、しばしば教会の中で行われているからです。著者は、聞き手がしてはならないこととして次のようなことを挙げています。
 語っている相手の言葉をさえぎって励ますこと、中でも自分の体験を引き合いに出して励ますこと。そうすることによって、その人がようやく搾り出した言葉を逆に呑み込ませてしまうことになる、といいます。語りにくさを抱えている相手に助け船を出して代わりに語ってあげることは、その場では一瞬、相手を楽にして助けてあげるようであっても、実はそれは最悪の対応なのだといいます。苦しいけれども、自分で語りきること、これがどうしても必要で、そのためには、聞き手は相手が語りきるまで待ち続けることが必要だということです。私たちは何としばしば、まだ人が語っている途中で、「それはこうよ」とか「私もこうだったから、あなたもこうなるわよ、大丈夫よ」などといって安易に励まし、また相手から話を奪ってしまうことでしょうか。そうされたほうは、「この人の前で話すんじゃなかった」と思い、心を閉ざしてしまうに違いありません。相手の話を聞ききることの大切さを、改めて思わされたことでした。

 もう一つ、マスコミなどでも取り上げられた『石巻赤十字病院の100日間』(小学館)。東日本大震災において最も多くの犠牲者・行方不明者を出した石巻において、被災を免れた唯一の病院として、災害医療に奮闘した医師、看護師、病院職員たちの苦闘を記録しています。それが想像を絶するような過酷な医療現場であったことは書かれている通りですが、私の心に留まったのは、100日間を統括したひとりの医師の姿勢でした。このような危機的な状況においてこそ、感情に流されず、冷静に物事を分析・判断し、堅い意志をもって全体を指揮するリーダーが必要であるということです。大混乱している現場では、いろんな対立意見が飛び交います。全国から応援にきた医療チームからも、様々な意見やクレームが出されます。けれども、この医師の態度はぶれることがありません。そのあたりがこう書かれています。
 
 全国から支援に入ってくれた医療チームにもさまざまなタイプがあった。「カーナビがないと避難所に行けない」「そんな避難所には行きたくない」「道がないから行けない」というチームもあった。「それなら行かなくて結構です」とつっぱねたこともある。
 なかには、「それは行政のすべきことです」というチームもいた。そのとき石井は答えた。「ご意見ごもっともです。でも、聞き飽きました。いまは評論家はいりません。ここは具体的に実行可能なプランをご提示ください。動かなければ、命は救えません。これは国難です」。

 このあたりの記述は、私たちの教団が直面している大きな課題に立ち向かっていくにあたり、どのような態度で臨むべきなのかを考えさせてくれるものでした。
 このような震災に関する本を読んでいますと、あのような大混乱のときにも、自分を犠牲にして死力を尽くした方々が世の中にはたくさんおられたことがよく分かります。そのような方々の体験談から、謙虚に学ばせていただきたいなあと思わされたことでした。


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