2011年11月 牧会日記


 2週間ぶりに傾聴ボランティアに参りました。いつもお話を伺うおばあちゃまはお元気そうにしておられて安心しました。帰りに、畑でとれたお野菜をいただきました。最初の頃は津波による塩害の影響が作物に出たものの、今はすっかりよくなって、何でも作れるようになったと息子さんが言っておられました。見事な野菜に、こちらもとても嬉しくなりました(写真)。
 その帰り道、今日は久しぶりに荒浜のほうを通って帰って来ました。まだまだ田んぼや畑の中に重機が入って作業をしていました。最初の頃に比べたら、瓦礫がほとんど取り除かれ、どこもキレイになっていましたが、それでも被災車両が所々残っており、津波が壊れた家がまだ残っているところがありました。前にも紹介したN姉がかつて入所しておられた老人ホームに半年ぶりぐらいで寄りました。建物の中の瓦礫が取り除かれ、外側だけが残っているという感じでした(写真)。そこから海のほうを眺めると、津波によって多くがなぎ倒された松林が寂しく見えました(写真)。この近辺は人が住むことができなくなってしまった地域でしょう。今後、どのように復興が進められていくのか、これからも見守っていきたいと思います。
 その帰り、N姉を訪問しました。先週訪問して下さったT姉から、「先生がちっとも来ない」と言っておられましたよ、とお聞きしましたので、久しぶりに立ち寄りました。約1ヶ月ぶりでした。月に一度でも礼拝に出席できたら、「先生が少しも来てくれない」という事態が解消されていいのになあと思い、礼拝に出席できるようお誘いしてみようと思います。



植木鉢 11月6日(日) (写真はこちら

 11月第一主日、教会暦における聖徒の日(永眠者記念日)に合わせて、私たちの教会では毎年、故人記念礼拝を行っています。今日は教会員ではないご遺族の方々も多数出席されました。礼拝の後、故人の写真を飾り、ご遺族に思い出を語っていただいて故人を偲ぶ茶話会の時を持ちました。ご主人が召される少し前に病床にて洗礼を受けられたある方は、できればもう少し早く救われて、1年間でもいいから一緒に聖書を読んで祈る生活をしたかったと振り返られました。また、今年の2月に奥様が病床にて洗礼を受けた後、その翌日に召された方のご主人も初めて礼拝に出席され、娘さんに宛てて書かれた最後の手紙を読んで下さいました。最後までご家族のことを思う、その気持ちが痛いほど伝わってきました。また、一緒に出席された息子さんが、お母さまが病床にて洗礼を受けられた後の様子をお話下さいました。洗礼を受けられた後、お母さまと二人きりになったとき、「洗礼を受けられて良かった。私は幸せ!」と言われたそうです。それがお母さまとの最後の会話になりました。10年近く入退院を繰り返された方でしたが、「母が最期にそのように言ってくれたので良かった」と息子さんは話されました。
 そのように、とても良い茶話会のときとなりました。教会員にも、そして出席された未信者のご遺族の方々にも、何らかのメッセージが心に届いたものと思います。このような集会を通して、ご遺族の方々に福音が届けられるように、そして共に天の御国を目指した歩みをなさることができるようにと祈ります。



植木鉢 11月7日(月) 

 3月11日の震災の翌朝(12日)、M兄ご夫妻が教会の様子を心配して訪ねて下さいました。そのとき、地元紙・河北新報のその日の朝刊を見せて下さいました。そのときの驚き、衝撃は今も忘れることができません。停電のためにテレビの映像を見ることができず、ラジオからしか情報を得ることが出来なかった私たちにとって、沿岸部を襲ったという大津波のニュースを聞いても、それがどんなものなのか全く想像できませんでした。河北新報によって沿岸部を襲った津波による被害を初めて目にしたとき、「ええっ!」と言ったきり、言葉が出てきませんでした(写真)。新聞を読んで、あれほど衝撃を受けたことはありませんでした。それで、近くの河北新報の販売店に行き、その日の朝刊を買ってきました。
 そしてもう一つ、衝撃に近い大きな驚きを覚えたことは、こんな大地震が起こった翌朝に、その様子を伝える新聞が各家庭に配布されたという事実でした。我が家は朝日新聞を購読しているのですが、河北新報などよりもはるかに力があると思われる朝日新聞はその日は配布されませんでした。被災者が最も情報を必要としているとき、全国紙の大新聞は配布を諦めたようです。しかし、地元紙である河北新報は「こういうときこそ、被災者に情報を届けなければ」と、多くの困難を克服して、翌朝の朝刊発行および配布にこぎつけたのです。
 そのときのことが、つい最近出版された『河北新報のいちばん長い日−震災下の地元紙−』(河北新報社、文藝春秋)に記されています(写真)。この本は今年度の新聞教会賞を受賞したとのことです。そこには、自らも被災者でありながら、何とか新聞を発行し続けようとする記者たち、社員たちの苦闘が記録されています。寒さと空腹に苦しむ被災者を助けることが出来ない痛み、「こんなことをしていていいのだろうか」というジレンマを抱えながらも、自分たちに与えられている使命を何とか果たそうと懸命に働く社員たちの姿が心を打ちました。私は、その本と河北新報の震災後1ヶ月分の特別縮刷版(写真)と照らし合わせながら、「そういう事情があったのか」とうなずきながら読みました。
 その中で、特に心に強く残ったことは、地元紙として、とにかく被災者に寄り添った紙面を作ろうとし続ける姿勢でした。本の中にも書かれていますが、震災翌日に新聞が届けられたことに大きな勇気が与えられた方々が大勢おられたようです。どこまでも被災者に寄り添うという姿勢は、全国紙の朝日新聞などは遠く及ばないように思います。3月13日の社説はこう書き始められています。
 
 生きてほしい。この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も絶対にあきらめないで。あなたは掛け替えのない存在なのだから。

 何かまるで福音のメッセージを聞いているかのような、そんな感じさえする呼びかけです。深い悲しみと大きな絶望の中で、この新聞を読んだ人たちが、どれほど慰められ、励まされたことでしょう。被災者と共に歩むというその基本姿勢は、その後、「再生へ 心ひとつに」という標語として欠かさず第一面に掲載されています。
 この本を読み終えて、二つのことを思わされました。一つは、河北新報の社員たちが地元の新聞社として、ひたすら被災者に寄り添おうとするその心を、牧師である自分がどれだけ持っているだろうか?という問いです。これは何も震災のことだけを言っているのではありません。教会員にどれだけ寄り添おうとする姿勢を持っているかということです。この本を読みながら、野辺地天馬先生の有名な言葉、「人生すべからく田舎伝道者たれ!」という言葉を思い出していました。この野辺地先生は、東洋宣教会ホーリネス教会の仙台教会が設立されたときの最初の牧師です(現在の日本基督教団仙台青葉荘教会)。その野辺地先生が、聖書学院の修養生たちに、繰り返しこの言葉を語ったと言われています。「人生すべからく田舎伝道者たれ」。よく過疎地の教会に遣わされている先生がこの言葉を好んで引用されますが、「田舎伝道者」とは、「田舎で伝道する者」という意味ではないでしょう。それは、たとえ都会でも田舎でも、自分が遣わされたその地で、その地域と人々を愛し、ひたすら仕えていく伝道者であるように!ということに違いありません。そう思うとき、自分はまだ「田舎伝道者」になりきれていないことを認めざるを得ません。
 もう一つ思わされたことは、河北新報が社員全員にアンケートを取ったりして、震災とその後のことを本にまとめたように、私たちの教会でも、教会の皆さんにアンケートなどを用いて、震災に遭って感じたこと、思わされたことなどを書いていただき、お互いに思いを分かち合うことをしてはどうだろうか、ということです。これまで、祈祷会や木曜会、縦割り部会やホッとタイムなど、いろんな機会に分かち合いをしてきましたが、出席できなかった方々も少なからずおられ、十分な分かち合いには至っていないように思います。震災からまもなく8ヶ月になろうとしていますが、時間が経ったからこそ振り返ることができるということもあるのではないでしょうか。何かいい方法があればと思っています。



植木鉢 11月8日(火) 

 今週も傾聴ボランティアに行ってきました。クラッシュ・ジャパンからは畑作業のボランティアの方々が数名来ておられました。私がお話を伺っているおばあちゃまは、「牧師さん、いつまで来てくれるの?」と最近何度も尋ねられます。そういえば、テレビの震災関連の番組では、震災から時間が経ち、季節が冬に向かう今の時期になって、かえって孤独化、孤立化が深まっていくというようなことが言われていました。以前から、「細く、長く」というつもりでおりましたので、「おウチの方に断られない限り、まだしばらくは参りますよ」とお答えしています。表面的にはだいぶ元気になっておられるように見えるのですが、こちら側が「もういいだろう」と判断するのではなく、逆に向こう側から「もういいです。大丈夫です」とおっしゃるのを待つべきなのだろうと思っています。
 そのおばあちゃまと、今日は車で比較的近くにある名取市閖上地区(仙台市のすぐ南隣の地区)に行ってきました。仙台近辺では、津波の被害が特に大きかった地域で、震災直後、大津波が仙台湾を襲ったとき、上空からの閖上付近の様子が映し出されていました。5月の終わり、私たちの教会の礼拝に関東にあるホーリネス教会の信徒の方が出席されましたが、ご実家が閖上にあって、ご親族数名が津波によって亡くなられたとお聞きしました。私はボランティアで近くまで通っていたのですが、これまで行くことはしませんでした。県外からの被災地観光にやってくる方々のようなマネはとても出来ない、そんな思いもあって躊躇していました。しばらく前から、「閖上あたりを見に行かないか」とおばあちゃまに言われておりましたので、今日は天気がとても良かったので、思い切って行くことにしました。よく知られている日和山(石巻でなく閖上の)に行きました(写真)。卒塔婆が立てられていました。その日和山から辺りを見回しましたが、土台部分が残っているだけで、立っている建物はもうほとんどありませんでした。「このあたりにはたくさん家が建ってたのよ」と言われたのですが、とても想像できませんでした(写真)。一面空き地となっていて、あるのは瓦礫の山ばかり。家に帰ってきて、パソコンでかなり詳しい地図ソフトを確認して驚きました。本当に、あの周辺には家がびっしり建っていたのです。それらがほとんど流されてしまっていたのです。「壊滅状態」と震災直後に繰り返し報道されましたが、決して大げさではないように感じました。近くに建っていたのは、多くの人が避難した閖上中学校でした(写真)。もちろん、現在は使われていません。また、道路脇には港から流されてきた船がまだ幾つもそのまま残されていました(写真)。震災からまもなく8ヶ月になろうとするこのとき、市街地と沿岸部とではあまりにも風景が違うことに、今さらながら驚かされたことでした。命が助かった方々でも、自分たちが住んでいた地域のあの風景を見せられたら、どんなにか心に大きな穴があいてしまうことでしょう。「がんばれ」とか「負けないで」などという言葉は軽すぎて、何と声をかけていいか分からない、そんな思いです。改めて、被災者の方々の心が支えられるようにと祈りたいと思います。

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植木鉢 11月11日(金) 

 震災から今日で8ヶ月となりました。6ヶ月が過ぎるまでは、時間が経つのがとってもゆっくりと感じられたのですが、この2ヶ月間はとても早く感じたことでした。震災に関するニュースや番組も次第に数が減り、今日はちょうど8ヶ月という区切りのときでしたが、TVではこの日にわざわざ合わせたような震災に関する特別番組は見受けられませんでした。サッカーやバレーボール、バラエティやTPP問題など、それ以外のことのほうが人々の関心が大きいのでしょう。仕方がないと思いつつも、どこか寂しい思いがしたところでした。被災者の方々が、「忘れられるのが怖い」「何か取り残されるようで寂しい」とインタビューに答えておられましたが、これからはいよいよその思いを強くするのでしょうか。
 その中で、東北地方とその他の地域と一つ違うことは、NHKの平日のお昼の番組で、正午のニュースの後、東北地方以外では12時20分からは「ひるブラ」という旅番組みたいなのをやっていると思うのですが、東北の6県では、震災後ずっと「震災ニュース」が放送されています。チャンネルを変えれば、「ひるブラ」も見られるようなのですが、基本チャンネルは「震災ニュース」となっていて、被災地各地の復興の様子や、仮設住宅などの生活情報、「震災、あのとき」というような九死に一生を得た方の話などが放送されています。まだまだ復興が進まない地域や苦しんでいる被災者の方々が同じ東北にたくさんおられることを思うとき、せめてこの番組だけはまだしばらく続けて欲しいなあと思っています。それはすなわち、少なくとも同じ東北地方に住む私たちは、被災者の方々のことをいつも心に覚えていたいという思いです。
 その8ヶ月を迎えた今日、震災後初めて、ずっとお休みしていた求道者のNさん(月に一度礼拝に出席しておられます)のお宅に伺い、信仰の学びを再開しました。3月の初め以来、まさに8ヶ月ぶりでした。80才を過ぎ、なかなか礼拝に毎週はおいでになれないのですが、それでも説教のCDは続けて聞いておられ、「かえってこのほうがちゃんと聞けていいんです」といつも言っておられます。関東の教会のある先生からご連絡があって伺うようになったのですが、こちらの話を熱心にいつも聞かれます。晩年を迎えておられますが、お元気なうちに信仰を告白されるようにと願っております。



植木鉢 11月13日(日) 

 今日は11月第二日曜日ということで、礼拝の中で子ども祝福式が行われました(写真)。3才の女の子二人が祝福にあずかりました。震災のときには、それぞれ怖い思いをしたと思いますが、明るく元気に育っている姿を見て嬉しく思いました。私たちの教会に与えられている子どもとして、これからも成長を見守り、祈っていきたいと思います。
 午後は、不定期で行っているホッとタイムを行いました。平日の集会に出席できない方々を対象に、信仰の交わりのときとしています。傾聴に関するプリントを読んだ後、今年最後のホッとタイムということで、震災後のこの8ヶ月間をお互いに振り返り、感じてきたこと、思わされていることを分かち合いました。直前のプリントで学んだように、「批判しない」「同情しない」「教えようとしない」「評価しない」「ほめようとしない」、聞くことに徹するという姿勢で互いに聞き合いました。
 また、チャペルでも、数名の女性たちによる信仰の交わり・分かち合いのときが持たれました。このような小さな集まりが、いろんな形で持たれることにより、「牧会し合う私たち」という今年の重点課題が少しずつ進められていくようにと願っております。



植木鉢 11月15日(火) 

 いつもの傾聴ボランティアの帰り道、若林区荒井にある仙台市農業園芸センターに寄りました。震災後、ずっと閉園となっていましたが、10月7日に一部の利用が再開されたとニュースで聞きましたので、行ってきました。この農業園芸センターは、海岸からは3キロほどのところにありますが、震災のときには1メートルほど津波に襲われたそうで、園内は瓦礫に覆われ、あの大きな温室も壊滅的な被害を受け、植物もほとんど枯れてしまったと聞きました。もうそのまま閉園になるのではないかという噂も耳にしていたのですが、思っていたよりも早い再会の知らせに嬉しくなりました。このように、それぞれできるところから復旧し再開していくことが、周りの人たちに元気を与えることになるのでしょう。11月下旬まではバラを鑑賞できるとのことです。携帯で写真を撮ったのですが、もうだいぶ暗くなっていたため、上手に撮ることができませんでした(写真)。後ろに見えるのが大温室です。また、そこで働いておられるある方にお会いできるかなと思いましたが、残念ながらお会い出来ませんでした。また次の機会に寄ろうと思っています。

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植木鉢 11月16日(水) 

 震災の生活面における復旧が進んでいることに伴い、心のケアの必要性が新聞やテレビなどで盛んに言われるようになっています。機会があれば、そのような働きに関わることができればと願っている人も少なくないように思います。その心のケアについて、ゆっくり読んでいる『緊急復刊 imago 東日本大震災と<こころ>のゆくえ』(現代思想9月臨時増刊号)の中の「あらゆることが『こころのケア』になりうる」(大澤智子)という文章が心にとまりました。その文章で、心のケアをしようと避難所や仮設住宅などを訪れる専門家チームと被災者との意識のズレが記されていました。すなわち、専門家の方々は心のケアをしようと乗り込んでくるのですが、被災者の方々は必ずしもその働きを歓迎しない、必要としない状況があるということです。場合によっては、それよりも生活面での具体的な支援を要求され、「せっかく来たのに……」とがっかりするようなことが起こるそうです。そのような中、著者は支援活動をしようとする者たちが心得ておくべきこととして、次のようなことを述べています(抜粋)。

・そもそも自分に何かできることがあると思って行くことが間違っているのです。何かできることがあると思って行くのではなくて、ひょっとすると自分でも役に立てることがあるかもしれないと思うしかありません。
・特定のニーズだけを想定して行くのではなく、臨機応変さが求められます。しかし、ここで間違ってはならないのは、こちらの考えを押しつけない、ということです。
・「こころのケア」とは、決して特別なことではありません。ケアとは、話を訊くだけではないのです。被災者の生活が安定し、回復の基盤が整うためにできることであるならば、それはあらゆることが「心のケア」に繋がります。

 ここに書かれているように、心のケアなど支援者がしようと思うことを相手に押しつけるのではなく、あくまで相手の必要に合わせることが大事だということは、私たちが特に心に留めておくべきことでしょう。しばしば、そういうお仕着せの働きを目にするからです。
 私たちが意図するような、被災者が苦しい心の内を話すということは、そう簡単になされるわけではないようです。心の痛みを話せるようになる時期が人によって違いますし、話せる時期になったとしても、それを話せる相手は人によって異なるからです。いつでもいいわけではありませんし、また誰でもいいわけでもありません。その人が心の内を語れるような関係作りというものも、とても大事であるようです。様々な関わりの中で、「この人なら話せる」と被災者が思えるような関係を築いていくことが求められます。その上で、「辛い心の内を話してごらん」とこちら側から仕向けるよりも、相手が話したくなったとき、いつでも聴いてあげられるような心の姿勢を整えておくということが大事なのでしょう。かつて学校で習った英語の表現で言うなら、“I am at your service”(あなたのお役に立ちたいと思ってココにいます。いつでも声をかけて下さい)という姿勢です。
 そしてこれは、心のケアだけでなく、教会における牧会においても同じことだなあと思わされています。求道者や信徒の方々は、たとえ悩み事があったとしても何でもすぐに牧師に相談するというわけではないでしょう。それぞれの時がありますから。ただ問題なのは、牧会者が「いつでもどうぞ」という相手の心に聴く姿勢を整えていない場合がしばしばあるということです。よく「先生は忙しいから」と言われることがあります。いつもそういう印象を与えてしまっているとしたら、そしてそのために信徒の方々がご自分の問題を牧師に語るのをやめてしまうとしたら、牧会者としては何かが問題なのでしょう。恐らく、牧師が他のことで忙しく、ゆっくりと教会の方々の話を聴く心の余裕がないことが相手にも伝わってしまっているのでしょう。そのような場合、求道者や信徒の方々が出しているサイン(いつもと違っている様子)を見過ごしてしまうことになるでしょう。
 そう考えると、獄中にあったヨセフはすごいなあと改めて思います。濡れ衣の罪で牢獄に入れられていたヨセフ。自分のことで精一杯のはずが、ある朝、変な夢を見たために顔色の悪かった二人の役人たちの、その顔色を見分けたというのです。「どうして、きょう、あなたがたの顔色が悪いのですか」と。私などは、皆さんのそのようなサインをいつも見落としているのでしょうね。ただ、「先生は忙しいから」といって遠慮される必要はありません。牧師が、求道者や信徒の方々の話を聞けないほど忙しいということなどありませんから。心のケアと同じように、「何かあるでしょう。話してごらんなさい」などと押しつけたりはしませんが、“I am at your service”「必要があれば、いつでも声をかけて下さい」という思いでおります。



植木鉢 11月18日(金) 

 今日、以前この牧会日記でも書きましたように、『健全な信仰をどう育てるか』(丸屋真也著、いのちのことば社)の読書会を行いました。希望しておられた二人の方と月に1回のペースで始めました。これは、ただ内容を理解するための読書会ではなく、それぞれがこの本に自らを照らし合わせながら、自分の信仰を振り返るためのものです。私たちの信仰の欠けや歪みというものは、「あなたはこうじゃないの」と他人に言われるのではなく、自ら気づくことがとても大事だと思っています。たとえそれが牧師からであったとしても、自分の信仰の欠点を他人から指摘されると、それが正論であっても、私たちはなかなかその指摘を受け入れられないものです。頭では「そうかもしれない」と理解しても、感情においては受け入れられず、かえって心の傷として残ってしまい、反対にその問題には触れないようになってしまうことが少なくありません。かなり時間がかかり、回り道のようであっても、人はそれぞれ自分の信仰の弱さや欠点というものを、自分でハッと気づいていくことが真の解決につながっていくものだと思います。この読書会は、それぞれが自分自身を振り返り、聖霊の導きのもとに自らの弱さや欠けに自分で気づいていく、そのための手助けをする、そういう機会になるようにと願っています。そのような作業は、人が心配するような自虐的なわざでは決してありません。自分を真実の姿を見つめることは、確かに勇気がいることですが、信仰の友と一緒だからこそ、それが出来るのであり、また、自分の弱さや欠けに気づかされていくということは、私たちが健やかにされていく、嬉しいことであろうと思います。「ああ、これも当たってる。全部私のことを書いているみたい」と驚きながら、それぞれ自分に示されたことを語り合いました。このテキストを通して、主が静かに、そして確かに働いて下さるようにと願っています。



植木鉢 11月19日(土)

 今日と明日、泉中央の駅前にあるペデストリアンデッキで、農業園芸センターによる「収穫まつり」が行われています(写真)。二つの目的があって昼過ぎに行ってきました。一つは、FHの倉庫が閉じられる日、お昼をご馳走して下さった方がいつも農業園芸センターで惣菜や漬け物などを出品しておられるそうで、その方にお会いできるかなと思ったのですが、残念ながらお目にかかることはできませんでした。もう一つ、今週火曜日の夕方に農業園芸センターに立ち寄った際にお会いできなかった方に会いたいと思って行きました。テントの中に座っておられ、1時間近くいろんなお話をすることができました。震災当日、あの農業園芸センターにおられたわけですから、周囲の惨状を目の当たりにされたのですが、「いやあ、私たちは新車1台流された程度ですから」と笑って言っておられました。お元気そうで、また久しぶりにゆっくりお話することができて感謝でした。
 明日は、福島教会の礼拝に参ります。一昨日、車のタイヤも冬タイヤに履き替えましたので、雪が降っても大丈夫!と覚悟していましたが、どうやら明日には天気も回復しそうで何よりです。お祈り感謝いたします。
                                            
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植木鉢 11月20日(日)

 今日は福島教会の礼拝での奉仕でした。礼拝の中で子ども祝福式を行いました。なかなか普段は出席できない子どもたちですが、久しぶりに集うことができました。震災のために、福島の子どもたちには相当のストレスがかかっていることを思うとき、この子たちの将来に主の祝福があるようにと皆で心を合わせて祈りました(写真)。
 昼食後、クリスマスの飾り付けをみんなで行いました(写真)。その間、私は線量計で教会周辺の放射線の数値を計測してみました。この線量計は福島市内の教会に配られたものです。建物の中は比較的低く0.2マイクロシーベルト、それでも、仙台では屋外でも0.1に満たない場所が多いことを考えると、やはり普通ではない数値です。教会の周りを計ると、草の上で高いところで0.5、教会の前の側溝はグンと数値が上がって1.8マイクロシーベルトでした。それでも、もっと高い数値が計測されている地域はたくさんありますから、側溝あたりでこの数値ならまだましなほうなのでしょう(写真)。福島の方々は、この先ずっとこの放射能の問題と付き合って行かなければならないことを思うとき、どんなに大きなストレスだろうかと思います。 
 飾り付けが終わったあと、有志で伊達市霊山町から来ておられる教会員のお宅にお邪魔しました。伊達市といえば、福島市よりもさらに放射線の数値が高く、いわゆるホットスポットと言われる場所が点在しています。その教会員のお宅から少し先に行くと、毎時3マイクロシーベルトを超えて「特定避難勧奨地点」に指定された地区があります。震災のために屋根の瓦が被害を受け、いまだにブルーシートに覆われている状態でした(写真)。お茶を飲みながらの話の大半はやはり放射能汚染の問題でした。福島の方々のために、どうぞ引き続きお祈り下さい。なお、7月に福島教会に遣わされた田中綏子先生は元気に奉仕しておられます。お祈りを感謝いたします。



植木鉢 11月21日(月)

 今日は数名の牧師仲間で月1回のペースで行っている静まりの集いに行ってきました。いつも山形・楯岡の坂本先生(保守バプテスト)がご家庭を開放して下さり、集まりを持っています。今日は6名の出席でした。午前中はそれぞれでこの数ヶ月間の振り返りのときを持ちました。部屋で横になって休みながら、自分の歩みを振り返りました。昼食後、午前中の振り返りの分かち合いのときを持ち、その後、御言葉の黙想の時を持ちました。このように、「主の御前に静まりのときを持とう!」という同じ思いを持つ牧師仲間が与えられていることは感謝なことです。いつも奥様の美香先生がおいしい昼食を用意して下さり、ゆっくりとした交わりの時が与えられています。
 帰り道、県境の関山峠附近はすっかり雪景色でした(写真)。先週冬タイヤに履き替えていたのが役に立ちました。冬の間は少しお休みし、また春が近づいたら再開する予定です。



植木鉢 11月23日(水)

 今日は11月23日、あの第7回全国信徒大会開催からちょうど1年が経ったなあと思い起こしておりました。あの震災のために、時が寸断されたような感覚があって、何かずっと昔の出来事のように思ったりもしています。休日でしたが、子どもたちはそれぞれ部活やテスト勉強をしているため、一日ゆっくりと家の中におりました。一年前を思い出し、昆兄が作成して下さった大会を記録したDVDを見ました。全国の教会から400名を超える方々が仙台に集まって下さり、本当に楽しいひととき、豊かなときを持たせていただきました。多くの方々が言われましたが、もしあの大会が今年だったら、とても開催できなかったであろうことを思うとき、全て主の導きのもとで行われた大会だったなあと思います。

「主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。」(詩篇126篇3節)

 私たちのために大いなる事を成し遂げて下さる主にこれからも期待をして、教会の働きを進めていきたいと願わされたことでした。





植木鉢 11月27日(日)

 今日からアドベントに入り、礼拝後、1年に2回の会堂の大掃除を行いました(写真)。洗濯するためにカーテンをはずし、床のワックス掛けをしたり、窓を拭いたり、玄関周りの掃除をしました。上の階では子どもたちも窓ふきを手伝いました。また、震災のためにクロスが破れていた女子トイレの壁の補修も男性の方々がやって下さっています(まだ途中)。今日は掃除をするには最高の天気で、みんなで奉仕をしながら賑やかにいただく昼食は、とてもおいしいものでした。
 清掃に合わせて、アドベントということでクリスマスの飾り付けを行いました(写真)。玄関の外に看板とツリーを飾り、玄関の中には“クリブ”と呼ばれる馬小屋の置き物を飾りました。夕方になるとタイマーが作動して、玄関にあるツリーのライトが輝いていました。多くの方が残って奉仕をして下さり、クリスマスの準備ができたことを感謝しています。
 皆さんと一緒に奉仕をしながら、昨日、築館教会の西森先生と電話でお話したことがずっと心にかかっていました。昨日の午後、用事があって西森先生にお電話を差し上げたのですが、「今、掃除をしていたところでした」とのこと。それで恐る恐る聞いてみました。「おひとりですか?」「もちろんそうですよ」とのお返事でした。皆さん礼拝に出席するのが精一杯で、土曜日に掃除においでになれる方など一人もいないとのこと。中学1年生のお嬢さんも土曜日の午後は部活なのでしょう。毎週、先生がお一人で会堂の掃除をしておられるようです。そのことをお聞きして、私が中高生の頃の我が家のことを思い出しました。毎週土曜日の午後になると、教会の清掃をやはり私たち家族だけで行っていました。私たち子どもが家を離れるまでは、教会員が奉仕に来ることはありませんでした。それでも、我が家は祖母を含めて6人家族、一人や二人が部活で帰って来なくても、残った者たちで何とかなったものです。そのことを思い出しながら、西森先生が会堂やトイレ、玄関周りの掃除を毎週お一人でしておられることを思うと、何とも心が痛みます。昔も今も変わらず、これが日本の教会の現実なんだなあと知らされました。また、こういう牧師たちが日本の教会を支えているんだと。
 午後、多くの奉仕者が与えられてみんなで楽しく奉仕できる恵みを感謝しながら、築館教会にも西森先生助ける働き人が起こされるようにと願わされました。




植木鉢 11月29日(火)

 昨日から今日にかけて、歴史編纂委員会が教団本部で行われました。本当は3月14日(月)に行われる予定でしたが、震災によって中止となり、久しぶりの委員会でした。そして今朝、河北新報の今朝の朝刊をご覧になった会員から家内のもとへ連絡があり、長年闘病を続けておられた方が27日に召されたとの知らせを受けました。年に2回、イースターとクリスマスの祝会の後、いつも有志で讃美をささげるためにご自宅を訪問しておりました。発病されてから、山口先生が関わられるようになり、洗礼を受けられました。その後、病気がさらに進行し、もうだいぶ前からは普通には会話ができなくなっておられました。それでも、奥様がいつも私たちの訪問を受け入れて下さっておりました。
 何度も危険なところを通られながらも、「今年も何とか守られました」と奥様がよく言っておられました。「もしもの場合、葬儀はどうされるのだろう?」と思っておりましたが、必死に病と闘っておられるご夫妻を前にして、私は最期までそのことを口に出すことはできませんでした。山口先生から引き継いだ者として、十分なケアが出来なかったことを本当に申し訳なく思っております。新聞によりますと、すでに近親者だけで通夜をすませ、明日、お別れの会が行われるとのことでした。
 そういうこともあって、歴史編纂委員会を予定よりも早めに失礼して午後2時過ぎに戻ってきました。するとしばらくして、召された方の奥様からお電話がありました。連絡が遅くなったこと、教会で葬儀ができないことを申し訳なく思っているとのお話でした。奥様は恐らく、ご主人のご遺志を思いながら、様々な方面にも気遣いが必要で、ご苦労されたことでしょう。そのような中、ご丁寧にお断りのお電話を下さったことに対してお礼を申し上げ、お疲れがでませんようにと声をかけました。奥様がそのような思いを持っていて下さったことで、心の重荷が少し軽くなりました。「教会の皆さんによろしくお伝え下さい」とのことで
した。
 明日のお別れ会に参列する予定でおります。奥様をはじめご遺族の皆さんの上に主の慰めがあるようにどうぞお祈り下さい。



植木鉢 11月30日(水)

 昨日ご紹介した方のお別れ会が午後2時から葬祭ホールにて行われました。病気を通して知り合った多くの方々が参列され、200名近くの参列者だったのではないでしょうか。始まる前に故人のビデオが流され、その中で、私たちの教会で洗礼を受けておられる様子も映し出されていました。多くの方々に助けられながら、家族の皆さんでずっと病気と闘って来られました。奥様をはじめ、お子さんたちも疲れが出ておられることでしょう。主の豊かな慰めがあるようにとお祈りいたします。
 葬祭会館の駐車場も会場も一杯になった様子を見て、私たちの教会も、安心して葬儀ができる会堂を早く建てたいなあと改めて思わされたことでした。安心して葬儀ができる会堂を! これは決して冗談ではなく、切実な願いです。教会の皆さん、少なくともそのときまではどうぞ長生きして下さいね。


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