2011年8月 牧会日記

植木鉢 8月 1日(月)

 夕方、利府・森郷にあるクラッシュ・ジャパンのベース・キャンプに差し入れを持って行きました。残念ながら、以前とやり方が少し変わって、月曜日は完全に休日となり、スタッフの方々も、他のチームもいなかったのですが、私たちの教団のホーリネス・チームが到着して打ち合わせをしているときでした。上野教会の松本順先生を中心に7名の方々が来られまし(写真)た。聖書学院の修養生の方2名、そして関東の教会の若い方々4名。いつもながら、有り難いことです。修養生の篠崎兄も今日は一日ゆっくりしていたとのこと、元気そうでした。
 関東に比べるとこちらは思ったよりも涼しいようで(寒いくらい)、半袖しか持っていなかった松本先生に、私のパーカーを差し上げました(写真)。松本先生が着ておられるのがそれです。ちょっと大きいでしょう。
 ホーリネス・チームは木曜日までの奉仕となります。奉仕の無事と祝福をお祈りいたします


植木鉢 8月 2日(火)

 午後、いつもの傾聴ボランティアに参りました。クラッシュ・ジャパンからは修養生の篠崎兄とドイツ人宣教師をはじめ、数名の外国の方々が来ておられ、農機具の修理や畑のゴミ撤去などをしておられました。写真のとおり、畑もずいぶんとキレイになり、ビニールハウスがあった場所には野菜の苗が植えられ、成長し始めています。少しずつであっても、変化が見られることは嬉しいことです。私がお話を聞いているおばあちゃまは、いろんな話を聞かせて下さいますが、帰りがけにご家族のお話を伺いますと、外に出ると元気にしているけれども、余震に過度に怯えたり、まだまだ不安定な状態にあるとのことでした。主の癒しと回復を心で祈りつつ、続けてお話を伺うことにしています。
 その帰り、FHの物資倉庫に寄りました。関東や名古屋などから今週も新しい方がおいでになり、12名のボランティアスタッフがおられました。先週は野菜やお米が尽きてなかったのですが、今日はお米や野菜がありました(写真)。また、物資を取りに来られる方の中には、スタッフのために漬け物の差し入れなどをして下さる方もおられ、良い関係が築かれているようでした。
 その帰り、仙台東部道路〜三陸道〜仙台北部道路〜東北道と初めての道を通って、Y兄が働いておられる病院に初めて行きました。ちょうどH姉のお父さまが入院されたこともあり、お見舞いを兼ねて、そしてY兄にお会いするために参りました。まだお仕事が残っている中で、病院を案内して下さいました。途中だったカルテの山を見て、毎日忙しく、心身をすり減らしながら働いておられるような感じがしました。二度の入院の後、まだ体力が十分に回復しておられないようです。どうぞお祈り下さい。
 私のほうは、日曜日の午前4時前の大きな余震で起こされ、その後眠れなかったため、礼拝は(お話したように)何か頭がボーッとしているような状態でしたが、昨日ゆっくりと休んだため、おかげさまで元気にしております。いつも皆さんのお祈りを感謝いたします。

植木鉢 8月28日(日)
 今日は、7月からクラッシュ・ジャパンの仙台ベース・キャンプにて奉仕をされ、日曜日には私たちの教会の礼拝に出席しておられた東京聖書学院の篠崎修養生に最後の礼拝でした。午後の部会にも出席されました。(写真)。
 篠崎兄はそのまま東京へ変えられる予定でしたが、昨日も書きましたように、基督兄弟団石巻教会で7月から9月までの3ヶ月間協力牧師として奉仕しておられる長内愛一郎先生が来るまで一緒に東京に帰ろう!と誘って下さったとのことで、それならば石巻教会まで篠崎兄をお送りしようということになりました。私のほかに、H兄とK姉が一緒に行って下さいました。
 この基督兄弟団石巻教会は、津波で一階部分は大きな被害を受けましたが、全国から様々な支援を受けて建物を改修してその後は地域の方々のために炊き出しや物資の配給などをしておられます。そのために、仙台教会と石巻教会を県木しておられる伊藤先生ご夫妻とそのご家族が、震災以来、本当に熱心に奉仕しておられます。
 私たちは午後の礼拝が終わる少し前、3時頃到着しました。長内先生が迎えて下さり、集会が終わるまで、しばらくいろいろとお話しを伺いました伺いました(写真)。震災後、求道者の方々がたくさん教会においでになり、全国から多くのボランティアの方々が来て助けて下さるとはいえ、伊藤先生ご夫妻とそのご家族がどれほど大変で、またどんなにかお疲れになっておられるだろうか、そのことばかりが気になった私でした。まもなく震災から半年が経過しますが、ほとんど休みなく頑張って来られた先生方であり、何よりも自ら被災者である先生方ですから、なすべきことがたくさんあるとはいえ、何とかしてまとまったお休みが取れないだおるかと、他教団のことではありますが、本当に心配になりました。伊藤先生ご夫妻とお子さんたちの上に、また基督兄弟団仙台教会、石巻教会の上に、主の守りと支えがあるようにと祈るばかりです。
 篠崎兄と長内先生を見送ったのち、私たちは変える途中、石巻の街を見下ろせる日和山公園に立ち寄りました(写真)。震災直後、多くの方々が非難した場所で、津波が押し寄せる様子が撮影された場所でもあります。瓦礫が殆ど取り除かれていましたが、家や工場が立ち並んでいた町並みは消え去り、家が流された空き地に緑が生えていました。まだ信号機が点いていない行為さ点がたくさんあり、1階部分が津波でやられて廃墟となっている建物がたくさんありました。
 今後、私たちに何ができるだろうか、ずっしりと重いものを抱えて帰ってきました。今も多くの困難の中にある方々に、主による慰めと助けがあるようにと心から祈ります。



植木鉢 8月 3日(水)

 午後、近くの台原森林公園に行きました(写真)。公園内を2時間近くかけてゆっくり散歩し、静まりの時を持ちました。今年は震災の影響で、いつも春に行っている東北地区の牧会者のための静まりのセミナーが中止になったこともあり、緑の中をゆっくりと散歩するのは久しぶりのことでした。景色を見ながら、耳を澄ませながら、ゆっくりと時間をかけて歩きました。まず気づいたのは、子どもたちの数が少ないということでした。夏休みの午後3時過ぎとなれば、子ども連れのお母さんたちがもっとたくさんいてもいいはずなのに、、今日はいつもより子どもたちがずっと少ないように感じました。公園の入口などは、いつもは鳩がたくさんいて、エサをやったり遊んだりする幼児やお母さんがいるのですが、今日はひっそりとしていました。遊具で遊んでいる子どもたちもほとんどいませんでした。やはり放射能が気になるのでしょうか。
 次に気づいたのは、ニュースでも話題になっているように、蝉の鳴き声が聞こえない、ということでした。このところの涼しさもあるのでしょうか、夏の終わりに鳴くというヒグラシの鳴き声は聞こえるのですが、真夏に鳴く蝉の声は聞こえませんでした。それでも、池にはカモがいたり、カメがふわふわと浮いていたり、心を和ませてくれました。
 普段の生活を少しストップし、そこに主を迎え入れるためのスペースを作る、それが静まりのときを持つ一つの目的です。いつも静まりのセミナーで読んでいる太田和さんが作られたプリントを少し長くなりますが紹介します。

◎心の耳を澄ませる−しばし、立ち止まり、ふり返る

 忙しい生活の中でとかく失いがちなのは、“しばし立ち止まり、後ろを振りかえる”という心の姿勢です。予定表に詰まっている先のことだけを見て、それをこなすことに精一杯であったり、次々に起こる思いがけないことに対応することに追われたりしていくうちに、半年が、一年があっという間に過ぎてゆきます。
 X・フランクルが強制収容所の極限状況の中で悟ったように、生きていることの、また、さまざまな体験の意味を見出すことは、活きる力を与えます。意味が見出せないと、表面上は多くの活動に忙しくしていても、心は退屈し、疲れてきます。また、心が深く感じて動かされる(感動する)ことが少なくなります。信仰の歩みでも、出来事や体験の霊的な意味を見出せないで、目に見える現象に一喜一憂するだけなら、信仰生活に疲れやマンネリが淀んできます。神さまの臨在を見失い、自分に語りかけて下さる御言葉も聞こえなくなってしまいます。
 意味を見出すために大切なことは、しばし立ち止まって、自分の旅路をふり返ること、そして自分にとって意味深いと思われる出来事や体験を思い起こし、その意味や意義について思い巡らすことです。静まって、次のような問いを自分に問うことができます。すぐ答えが見出せなくても問い続けることが大切です。

・「この出来事は、この体験は、私にとってどんな意味を持つのだろうか。」
・「この事に対して私はどんな反応・対応をしただろうか。なぜ、私はそのような反応・対応をしたのだろうか。また、そこには自分の何が現れているのだろうか。」
・「このことを通して、神さまは私に何を語ろうとされているのだろうか。また、私について、私の在り方や、生き方について、何を示しておられるのだろうか。」
・「このような現実の中で、神さまはどう生きるように私を招いておられるのだろうか。」

 目があっても見えず、耳があっても聞こえず、物事の表面的な理解にとどまって、的外れな反応をしていた弟子たちに、イエスさまは、「覚えていないのですか……まだ悟らないのですか」と言われました(マルコ8:17−21)。私たちも、「心の目を、心の耳を開いてください」と主に祈りながら、思い起こし、思い巡らすのです。私たちの旅路には、素晴らしいことや喜ばしい驚きだけでなく、悲しいことや思いがけない試練もあります。それらすべての中に神がともにいて下さったことを信じるとき、その一つ一つに向き合うことができるようになります。
 今日の2時間ほどの散歩では、自分の歩みを振り返るまでには行かず、しばし立ち止まり、自分の目の前の出来事から目を離し、他のことに目と耳を向ける、というところまででしたが、それでも、心の波がおさまっていくような、そんな後味がするときでした。忙しさの中にあるときこそ、このような“間(スペース)”を大事にしたいなあと思わされました。



植木鉢 8月 4日(木)

 震災後しばらくしてから、クラッシュ・ジャパンやパーパス・ドリブン・フェローシップなど、様々な団体が被災地にある教会の牧師とその家族を支えようと、休養を兼ねたセミナーを開催して下さっています。8月にもそのようなセミナーが予定されています。被災地にあって、牧師は自らも被災しながらも、他者を援助する役割を担うことが多いため、休むことが出来ずに疲弊している場合が少なくないということで、牧師とその家族に少しでも教会から離れて心身のリフレッシュの時を!ということです。このような、援助者を援助する働きはとても大切なことでしょう。援助する者が疲れきっていては、他者を援助するどころではなくなってしまうからです。
 このことについて、クリスチャン新聞の8/7号のオピニオンに「非常時の牧師の疲弊に対応する」という題で、藤掛明氏が文章を寄せておられます。その中で、疲弊した牧師を「援助者役割」から解除してあげるために必要な二つのことが書かれています。一つは、教会という日常の場から物理的に離れること。もう一つは、「牧師が、自らのことを他者に(できれば同じ体験を持つ同業の牧師に)語る経験を持つこと」が挙げられています。そしてこのことのために、上記のようなセミナーが開催されているのですが、二つ目の、自分のことを語り合うことことは案外難しい、と藤掛氏は書いておられます。私もその通りだろうなと思います。幾つかの理由があるのですが、その一つに「特定の人が語りすぎると他の人は語りにくくなる」とあります。これはしばしば見られることです。お互いに被災者で、参加者は皆、誰かに話を聞いて欲しいと思っているのに、このようなセミナーの場でさえも、他の牧師の聞き役にならなければならない、ということが起こってしまうことがありうるのです。牧会の場から離れたはずなのに、他の牧師を牧会しなければならない、これほど苦痛なことはありません。それでは、かえって疲れて帰ってくるということになります。
 何回かこのようなセミナーの案内を受けながらも、私がすぐに飛びつこうとは思わなかった理由の一つに、そのような理由があります。ちょうど都合が合わなかったということもあるのですが、何か警戒する思いをぬぐうことができませんでした。昨日も書いた牧会者のための静まりのセミナーでさえても、それぞれが自分の霊性のために静まりに来ているはずなのに、いつの間にかそれ以外の話し合いになり、相手の牧師の話を聞かされることになり、ひいては牧会に似た働きをしなければならないようなときがたまにあるからです。同じような境遇、同じような関心を持った牧師たちが集まって話し合いをすれば、それで安らぎになるかといえば、必ずしもそうではありません。初めて合う牧師ばかりで気を遣ったりして、違う緊張を強いられる場合もあります。
 藤掛氏は、牧師が自らのことを他者に話す際に、「できれば同じ体験を持つ同業の牧師に」と書いておられますが、私は必ずしもそうは思いません。同じ体験を持っている者たちが語り合えば、それで互いに慰め合いになるかといえば、事はそう単純ではないからです。それは、同じ震災を体験している他の牧師が、必ずしも良い聞き手になってくれるとは限らないからです。特に、被災の程度に違いがある場合、聞き役になる人がもっと深刻な体験をしているために、相手の話を十分に聞くことが出来ないということが起こりえます。この紙面で書いてきたように、「ああ、その程度なのか。自分のほうはもっともっと大変だった」という思いを心に持ってしまうことがあります。そのために、話したほうは「聞いてもらった!」という充足感を得ることが出来ないことも考えられます。
 私は、話を聞いてくれる人が、必ずしも同じ体験をしていなくてもいいと思います。大切なのは、同じ体験をしているかどうかではありません。その人の話に十分に耳を傾け、その心に本当に寄り添おうという思いを持っているかどうか、そのことが何よりも大切であると思います。「被災地でない人には分からない!」という嘆きの言葉を聞くことがありますが、確かに、自分が体験していないことは実感としては分からなくても、だからといって聞き役に相応しくない、ということではありません。たとえ震災による直接的な被害を受けていない方であっても、熱心に耳を傾けてくれる人であれば、それは話す人にとってどれほど大きな慰めになることでしょう。かえって、被災した人は自分の体験を基として聞こうとするために、それが傾聴の妨げになることさえあります。カギは、その人が何を体験しているかではなく、その人がどのような心で聞こうとしているかであるように思います。どんなプログラムをするかではなく、そのような心を持った一人の存在が、疲弊した牧師たちを慰め、癒すことになるのではないでしょうか。 私たちの場合、当初の年間計画通り、来週一週間の予定で夏休みをいただきました。牧会の現場を離れて、十分に休養をして欲しいと教会の方々に言っていただき、リフレッシュのときが与えられることを本当に有り難く思っています。心身の疲れが癒される休暇となるようどうぞお祈り下さい。



植木鉢 8月 5日(金)

 仙台市立八軒中学校の吹奏楽・合唱部の皆さんが歌った「あすという日が」という曲が収録されているCDを買いました。皆さんもテレビなどでお聞きになったことがあると思いますが、この八軒中学校というのは、吹奏楽のコンクールでは東北大会に進出する常連校で、全国大会にも2度出場したことのある学校です。知香の属する台原中学校の吹奏楽部も近年は必ず地区大会を突破して県大会に出場し、2年前(詩織が2年生のとき)には東北大会にも出場したのですが、今年は地区大会で終わってしまいました。残念!
 その八軒中学校では、吹奏楽部の部員は合唱部とかけ持ちで、合唱のほうも全国大会で銀賞をとるほどの実力で、3月19日に行われる全国大会に向けて準備をしていたとき、震災に遭い、コンクールに出場できなくなりました。そこで、せめて校内で自分たちのために発表会をしようという声が保護者の中から上がりました。当時は中学校が避難所になっていたため、避難しておられる方々に音が漏れるのを断ろうとしたところ、「自分たちにも聴かせて欲しい」という要望があって、3月19日、震災がなければコンクールに出場していたその日に、避難している方々を招待して、「音楽の集い」が開かれました。そこで歌われた「あすという日が」という合唱曲が被災した人々の心に深く響き、その歌声に多くの方々が涙を流しました。その様子がテレビに取り上げられると、様々な方面から取材や出演依頼が舞い込み、その歌声が多くの人々に感動を与えました。
 教会などでは、ややもすると、自分たちの信仰を重んじるあまり、そのような信仰以外の一般の方々の働きやわざを軽く見てしまうことがあります。「いいや、人に本当の慰めを与えるのは神の言葉だけだ!」と。確かに、私たちは神の言葉こそ人に真の慰めと励まし、勇気を与えると信じるものですが、だからといって、「そんな歌などでは本当の慰めなどにはならない」などと否定したり、軽んじたりすることは、決して正しい態度ではないでしょう。事実として、多くの人々が彼らの歌声に心打たれ、慰めが与えられたということを私たちも共に喜ぶべきであり、その真摯なわざを正当に評価すべきでしょう。被災地に暮らす皆さんは、恐らくテレビでその活動の様子をご覧になったことがあると思いますが、中学生たちが震災復興のために一生懸命に歌っている姿は、私たちでも心動かされるものでしたね。

 その後、八軒中の皆さんの歌声はCD化され、発売されることになりました。このCDには、3曲入っており、1曲目は「あすという日が」の合唱、2曲目は阪神大震災のときに作曲されて歌われた「しあわせを運べるように」という曲、3曲目は「あすという日が」を自分たちの吹奏楽による伴奏での合唱、となっています。このCDの売上げは、震災復興のための義援金とされるそうです。詳しくは、http://sing-all.jpn.com/index.html



植木鉢 8月 6日(土)

 明日からのCSキャンプのために、多くの方々が準備をして下さいました(写真)。男性の方々はキリスト教育児院からお借りしたトラックで荷物を運んで下さいました。女性の方々は食材の買い出し、搬入、各部屋の掃除などをして下さいました。ありがとうございました。今日から急に暑くなりましたので、明日からの2日間のキャンプで、参加者や奉仕者の健康がまもられますように、また、祝福されたキャンプとなるように、どうぞお祈り下さい。



植木鉢 8月 7日(日)

 私は福島教会での礼拝奉仕でしたが、仙台ではY兄の説教奉仕による礼拝の後、午後からCSキャンプがドミニコの家で行われました(写真)。それまで教会で行っていたキャンプをドミニコの家で行うようになって今年で5回目となりました。おかげで私たちもこの場所にすっかり慣れて、気持ち良くキャンプを行うことができました。ドミニコの家に行く途中、どしゃぶりの雨が降り、屋外でのバーベキューは今年は無理かなと思われたほどでしたが、雨がやんで晴れたため、予定通りのプログラムを行うことができました。
 私が福島教会からドミニコの家に到着したのは午後4時前で、リクレーションの時間が終わった頃でした。その後、恵みの集会が行われました。今年のキャンプのテーマは「イエスさまにつながろう!」で、ヨハネによる福音書15章5節の聖句がテーマ聖句として選ばれました。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。」

 分級の後、夕食はバーベキュー。毎年のことですが、教会の方々が裏方として本当によくご奉仕をして下さって、子どもたちやCS教師が安心してプログラムに専念できました(写真)。キャンパーが12名であるのに対して、教師7名、食事作りやアウトドアの奉仕をして下さるワーカーの方々は16名で、キャンパーのほぼ倍の数の大人の方々がご奉仕をして下さいました。心から感謝いたします。この中には、東京聖書学院からの修養生3名も含まれます。それぞれ裏方としてよくご奉仕をして下さいました(写真)。
 夕食後、キャンプファイアーを行いました。子どもたちがそれまでの感想を一言ずつ述べました。その後、一人一人順番に、テーマ聖句を暗唱し、「わたしはイエスさまにつながります」と言った後、それぞれが紙で作ったぶどうの房を大きな紙にかかれたぶどうの木に張り付けるということをしました(写真)。それは私にとってはとても感動的なひとときでした。
 今は、書いたものを読んだり、先生に教えてもらったりしながら、テーマ聖句を暗唱し、さらに言われるままに「わたしはイエスさまにつながります」と言いながら自分のぶどうの房を張り付けたのですが、その様子を見ながら、「この子どもたちが、やがての日、自分の確かな信仰の言葉としてこのことを告白することができますように!」と祈ったことでした。
 主イエスにつながろうとする私たちの手は実に弱々しく、ときにはその手が離れそうになることさえあります。けれども主は、主イエスにつながろうとする私たちの小さく弱い手を、はるかに強い力で握り返すようにして私たちの手を取って下さいます。だからこそ、こんな私たちがなおも、主イエスにつながっていることができるのでしょう。
 子どもたちのたどたどしい言葉が神のもとに届き、この告白を真実なものとならせて下さい!と、一人一人の様子を眺めながら繰り返し祈っておりました。 
 そのようなキャンプファイアーの後、花火、そして最後にスイカをいただきました(写真)。子どもたちはすっかり満足した様子。興奮してなかなか寝ようとしない子どもたちを何とか寝かせつけて、感謝のうちに一日目が終わりました。
                  



植木鉢 8月 8日(月)

 CSキャンプ二日目。寝不足の子どもたちもいたようですが、6時30分に起きてラジオ体操。その後、各グループに分かれてデボーションタイム(写真)。そして7時30分から朝食となりました。毎年、子どもたちに何とかおいしく食べてもらおうと、キッチンの方々がいろいろと工夫して朝食を用意して下さいます(写真)。集会までの自由時間、子どもたちは外で遊んだり、部屋で寝転んだり、虫を探しに歩いたり(写真)。
 そして9時から、昨日に続いての恵みの集会。キャンプのテーマである「イエスさまにつながる」とは、「御言葉によってつながる」というのが昨日のお話でした。そして今日は「教会を通してつながる」ということで、教会の集会に出席し続けようと話されました。その後、各グループに分かれて、分級のときを持ちました(写真)。
 今年はプログラムを縮小し、二日目の午前中で終わりのため、その後清掃をし、閉会礼拝をささげ、11時半頃には解散となりました(写真)。
 この二日間のキャンプを終えて改めて思わされたことは、いつも教会の多くの方々のご奉仕をいただき、教会全体によって支えられ、祈られているからこそ、このようなキャンプを続けることが出来ているということです。ありがとうございました。この子どもたちが、やがては自分たちが奉仕をする側になってくれるだろうと期待しています。
 もう一つ、一年ずつ、子どもたちが心も体も成長しているのを実感できる喜びです。今年小学一年生になったSくんは、これまではいつもお母さんと一緒でお泊まりすることも出来ませんでしたが、今年は晴れて正式にキャンパーの資格を得、お話も一番前でちゃんと聞いていました。恵みの集会で話をする家内がときどき子どもたちに「○○ですか?」と聞くと、Sくんが「ちがう」「なりたい」などと期待している通りの返事をしてくれて、とても話しやすかったようです。そのほかの子どもたちも、それぞれ成長が与えられていることを主に感謝しました。これらの子どもたちが、やがて主イエスを信じて洗礼を受ける日が来るよう
に、引き続きお祈りをお願い致します。

「兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。」(ローマ10章1節
                                                  
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植木鉢 8月 9日(火)

午前中、教団委員の内藤先生ご夫妻(狭山教会)がおいで下さいました。内藤先生は教団の奉仕局長として震災の災害対策本部で多くの働きを担っていて下さいます。被災教会へのお見舞いと被害の様子を改めて調査するために、昨日午後は築館教会、今日の午前は私たちの教会、午後は福島教会と廻って下さいました。内藤先生は丁寧に被害の様子をお聞き下さり、何か必要な支援がないかとお尋ね下さいました(写真)は建物に亀裂などを撮っておられる様子)。決して押しつけにならず、また必要ならば出来る限り支援しようとして下さる私たちの教団の姿勢にいつも感謝しております。お陰で、最初の1、2ヶ月の頃に比べると、心身ともに本当に元気になってきました。お祈りとご支援を心から感謝いたします。
 午後、今日はいつもの傾聴ボランティアをお休みして(来週もお休み)、シオンの園に入居しておられるN姉のペースメーカーの検査にお連れしました。入院していたため、一ヶ月ほど遅れたのですが、心臓も機械も順調とのことで、再検査は一年後でいいとのこと、安心しました。
 その後、教会からお預かりしていた日本国際飢餓対策機構への献金を携えて、物資倉庫に行きました。いつも傾聴ボランティアの帰りに立ち寄ることが多いので、「火曜日の男」と噂されているそうですが、倉庫が閉まるギリギリに間に合って、献金をお渡しすることができました。倉庫のほうは、野菜などの食料品が少ないためか、あるいは暑さのためか、少し来場者が少なくなっているとのことですが、それでも、スタッフの顔を見るために毎日おいでになる方や、新しく人から伝え聞いて初めて来訪される方などがおられるそうです。倉庫内が暑くなっているため、奉仕者の健康が支えられ、その働きを通して多くの方々に助けの手が差し伸べられるようにと祈ります。
 皆さんは体調が大丈夫でしょうか。土曜日から再び暑くなり、今日も本当に暑かったですね。そのような中、東北電力の電力消費量が供給量の98%に達したとニュースを聞いて、エアコンをつけるのを躊躇しながら、暑さをしのいでおります。教会の皆さんも、どうぞ体調に気をつけてお過ごし下さい。



植木鉢 8月10日(水)

 今日の祈祷会で、詩篇119篇65〜72節を開きました。あの有名な聖句がある箇所です。

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」」(71)

 この聖句は、しばしば今回の震災のように、大きな苦しみに遭っている人に送られたりすることの多い聖句です。しかし、以前もご紹介した堀肇先生の「解釈しない優しさ」という文章にも書いてあったように、苦しみに遭っている人に対して他人が勝手にそのような解釈をしたりしてはいけないのであって、これはただ本人が、神さまと向き合う中で教えられていくものでありましょう。この71節の聖句について堀先生は、「(このような)告白をするに至るまでには相当の時間がかかること、また、かけなくてはいけないということ」と書いておられます。震災から明日で五ヶ月になろうとしていますが、私はまだとてもこの71節のように言うことはできません。いや、そう簡単に言ってはいけない、とさえ思っています。
 では、いったいどのようにして、この71節のような告白が生まれるのでしょうか。ここで使われている「苦しみ」という言葉は、「問う」とか「答える」とか「貧しくなる」と訳せる言葉です。苦しみに遭うとき、信仰者にとってそれは神によって自らが「問われる」ときであり、その神の問いかけに「答える」ことが求められるときであり、それによって徹底して「貧しくなる」ことを余儀なくされるときです。あまりにも大きな苦しみに遭うとき、私たちは自分の力ではもうどうすることも出来なくなり、徹底的に弱くされ、低くされて、ついにその苦しみを神の前に持って行き、神と向き合わざるを得ないようにされるものです。それによって、それまで深くは分かっていなかったこと、すなわち、自分が人間に過ぎないこと、神なしには生きていけないことを痛感させられます。そのように、苦しみを契機として、神に自らを問われ、貧しくさせられていくとき、「ああ、あの苦しみにも意味があったのだ」と思うときが来るというのでしょう。神を抜きにした場合、苦しみは苦しみのままで終わり、かえって心がねじけ、恨みがましくなってしまいます。けれども、苦しみの中で神と向き合っていくとき、苦しみが苦しみのままで終わらず、「これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」と言えるときが訪れるのでしょう。
 最初にも書きましたように、この聖句は他人が苦しんでいる人に押しつけるようにして、「この聖句にこう書いてあるから、この苦しみも良かったのよ」などと利用すべき聖句ではありません。苦しみの渦中にいる人にとって、これほど無責任な、その人を傷つける言葉はありません。これは無理矢理のようにして納得するような聖句ではありません。、本人が時間をかけて神さまと向き合っていく中で、神さまの恵みによって納得させられていく聖句でありましょう。
 決して安っぽい言葉としてではなく、「ああ、本当にそうだった」と実感ある告白としてこの聖句を語り合う日が来ますように、と今日も祈ります。



植木鉢 8月11日(木)

 
震災から五ヶ月がたった今日、この五ヶ月を振り返って何かを書こうと思って一日を過ごしていたのですが、何も出てきませんでした。たぶん、まだ振り返って何かをコメントする思いにはなれなかったのだろうと思います。私でさえそうなのですから、津波で大きな被害にあった方々、原発で避難しておられる方々などはなおさらのことでしょう。今の段階で振り返っていては、前に進む力が失せてしまいそうになる、という方々も多くおられることでしょう。
 そんな中、この五ヶ月で一つだけ言えることは、震災のことが頭から離れた日は一日もなかったということです。無理に忘れないようにしようとしていたわけではありません。あの日以来、震災ぬきの生活はなくなってしまったのです。
 今日から一週間休暇をいただきます。果たして、震災の事柄から全く離れた数日となるのでしょうか。教会の皆さんの守りを祈りつつ。



植木鉢 8月12日(金)

 今朝も午前3時台にちょっと大きな余震がありましたね。皆さんは大丈夫だったでしょうか?私たちは元気です。(写真



植木鉢 8月13日(土)

 皆さんお元気でお過ごしでしょうか。私たちは元気にしています。明日の礼拝の祝福をお祈りします。(写真



植木鉢 8月14日(日)

 今日は大学進学のために札幌に行ったKくんが通っているウエスレアン・ホーリネスの札幌新生教会の礼拝に出席しました。この教会は旧ホーリネス教会に属していた教会で、昨年、創立100周年を迎えた伝統ある教会です。大通公園の目の前、地下鉄の出口からすぐのところにありました。ホーリネスらしい、懐かしい感じのする礼拝でした。Kくんも元気でした。お祈り感謝します。(写真



植木鉢 8月15日(月)

 今回のメインです(写真)。守られて元気に過ごしています。



植木鉢 8月16日(火)

 ということで、北海道に行ってきました。今日夕方、無事に戻ってきました。お祈りありがとうございました。昨日の夕方、ホテル近くの時計台や旧北海道庁舎を見学しました(写真)。今朝は朝から雨だったため、まっすぐに空港へ行き、飛行機で帰ってきました。搭乗便が事故が繰り返されているボンバルディア機、しかも小さな小さな飛行機で、雨の中大丈夫だろうか?と思いましたが、以外にもスムーズなフライトでした。上空から被災地の様子を眺められるかと思いましたが、雲がかかっていてほとんど見えませんでした。ただ、仙台空港に着陸する寸前、空港の両側の海岸線に松林がひろがっているはずですが、たくさんの木がみんな同じ方向になぎ倒されている様子が目に飛び込んできました。空港から仙台駅にバスで向かう途中も、津波でやられた車が無数に集められた場所が幾つもあり、空き地には瓦礫が山のようになっている場所がまだまだたくさんあり、瓦屋根がそのままでブルーシートがかけられている家が幾つもありました。たった50分ほどのフライトでしたが、空港に降り立った途端、改めて被災地に戻ってきたということを実感しました。
 それにしても、教会の皆さんや教団の方々に多くのご配慮をいただき、ゆっくりと休暇を取ることができたこと、改めて感謝いたします。とても良いリフレッシュのときとなりました。日曜日を挟んだ休みを取ることがまだまだ許されない先生方がおられることを思うとき、「僕たちは恵まれているなあ」と思います。ありがとうございました。



植木鉢 8月17日(水)

 休暇前に、「震災の事柄から全く離れた数日となるのでしょうか」と書きましたが、昨日から今日にかけて気づいたことがありました。それは、北海道では地震の心配は全くしていなかったということです。そもそも周りの空気が、仙台とはまるっきり違います。それは当然のことでしょう。仙台に戻ってさっそく、昨夜も揺れを感じましたし、今日も日中、何度か余震がありました。北海道など被災地以外の地域では、「震災後」ということでしょうけれども、被災地では、まだまだ「終わった」というモードではなく、「なお継続中」という感じではないでしょうか。このあたりの空気の違いを感じたところでした。旅行の5日間は、震災の事柄から全く離れた数日というわけではなかったものの、少なくとも、「いつまた大きな余震が起きるだろうか」という意識からは全く解放されていました。仙台に戻って何度も揺れを感じて、「そういえば、旅行中はこういう意識はなかったなあ」と改めて気づかされました。震災直後のような、大きな緊張感ではないものの、この被災地に住んでいる限り、「また大きな余震があるかもしれない」という目に見えないストレスを常に感じているのではないでしょうか。数日間仙台を離れて、逆にそのことに気づかされたことでした。



植木鉢 8月19日(金)

 午後の大きな余震、皆さんはどこにおられたでしょうか。私は3月11日と同じ書斎にいました。“ドン!”という感じでいきなり揺れ始め、揺れが強くなるその加速の仕方がいつもの余震とはちょっと違って、あの大地震のときと同じような感じで建物がかなり大きく揺れました。あれがもう一段大きく揺れるようだと、あのときのような震度7クラスの地震になるのでしょうか。これだけ繰り返し余震を経験すると、「これは大きくなるな」とか、「これはマグニチュード5を超えたな」ぐらいは何となく分かってくるものですね。
 それにしても、久しぶりの震度5弱(仙台市青葉区は震度4)、M6.8の地震。震災から五ヶ月が過ぎ、仮設住宅の建設が進んで避難所が閉鎖されたり、ボランティアの体制が次第に縮小されていく中で、私たちの心としても、震災ムードから平常な生活へと戻ろうとしているときに、まるでその動きに待ったを掛けるかのような今回の余震でした。そういえば、「向こう1年は、マグニチュード8クラスの大きな余震が起こりうる」と言われていたにもかかわらず、心のどこかに「もうそろそろ大丈夫ではないか」という思いが生まれかけていたことにハッとさせられました。残念ながら、まだまだ「これで終わり!」というわけにはいかないのですね。そのように言うのは、私の心の中に、「私たちはもう大丈夫。震災前の状況に戻りました」と早く言いたい!という思いがあったように思うからです。それは、自分の中で早くケリをつけたい、というよりも、全国の多くの方々に祈っていただき、たくさんの支援をいただいてきたことが心にかかっていて、それらの方々に、「私たちはもう大丈夫です。これまでのたくさんのお祈りとご支援をありがとうございました」と回復をアピールしなければいけないのではないか、震災から半年近くになり、そろそろ区切りをつけなければいけないのではないか、という余計な考えがあったからであるように思います。けれども、その考えは、同じ状況にありながらもまだ元気を取り戻していない方々を置き去りにしてしまう危険をはらみ、さらには、「いつまでも震災ダメージを抱えていないで、そろそろ元気になろうよ」という暗黙のメッセージを送ってしまう危険があるなあと思わされたことでした。私の中での終結宣言をはやる心に待ったを掛けてくれた、そんな今回の余震でした。



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植木鉢 8月20日(土)

 午後、私の大好きなW先生からお電話をいただきました。私が小さい頃、W先生と同じ教区にいていろいろとお世話になり、転任した先の教会にも特伝の講師として来て下さいました。忘れることができないのは、私が中学1年生だったの秋、W先生が私たちの教会の特伝の奉仕に来て下さいました。午後の集会が終わり、皆さんが帰られた後、W先生が私たち子ども3人を駅前のデパートに連れて行き、「何でもいい、好きなものを買ってあげるから、欲しいものを言ってごらん」と言われました。そんな言葉、生まれてこのかた一度も言われたことのない言葉でした。「本当にいいのかな」「どのくらいの金額までいいのかな」と悩みながらも、私は腕時計を買っていただきました。その年の1月から、朝の新聞配達を始めていたため、ずっと欲しいと思っていたものでした。W先生はそのようにして、特伝の奉仕のお礼として受け取ったであろう謝礼を私たち3人の子どもたちのために惜しげもなく使って下さったのです。あのときの嬉しさ、そのご恩は生涯忘れることができません。「こんな先生もいるんだ!」と、小さな教会の貧しい牧師の子どもたちにまで目を留めて下さるその先生の優しさは、私が目ざす牧師としての理想像の一つとなりました。最近になって母から聞いたことは、W先生は私たちが同じ教区にいたとき、貧しい私たちの生活を支えるために、毎月一定額をサポートして下さっていたということでした。まだ教団には牧師給支援制度などない、ずっと前の時代に、苦しんでいる牧師家族を自ら進んで支えて下さったW先生のことが、私はずっと大好きでした。
 その先生が、「電話をかけてはまだまだ迷惑かなと思いながら、何か自分に出来ることはないかと思って電話しました」とご連絡を下さいました。何十年前と全く同じように、「私にできることがあったら支援させていただきたいので、何かあったら教えて下さいませんか」とのこと。いつか恩返しがしたいと思っていたのに、再び、「何でもいいから言って下さい」との申し出を受けて、涙が出るような思いでした。具体的に何かをしていただくということ以上に、そのように心にかけていて下さるということが、こちらにとってどれほど嬉しく、また励まされることでしょうか。
 改めて、W先生のような牧師になりたいと思わされたことでした。そのような先生に出会わせて下さった主に感謝します。



植木鉢 8月23日(火)

 先週金曜日から、仙台はずいぶんと涼しくなりました。暑さが一段落してホッとしたためか、急な気温の変化に体がおいつかないためか、この数日、どっと疲れが出ています。夏の疲れなのか、震災の疲れなのか、自分でもよく分からないのですが、自分の体調と家内のいうことを聞いて、少しおとなしくしています。本当ならば、クラッシュ・ジャパンの利府ベース・キャンプに私たちの教団から今週は18名(?)もの方々が来ておられるので挨拶に行ったり、久しぶりにFH倉庫に行ったりしたいと思っていたのですが、体に力が入らないためにやめました。ちょうど毎週火曜日の傾聴ボランティアも、向こうの方の都合でお休みとなったため、休養いたしました。
 私でさえこうなのですから、年配の方々や、大きな被害に遭った方々、今も避難所で生活しておられる方々などは、どんなにか疲れを覚えていることでしょう。先日のホッとタイムでもそのような話になりましたが、周りに体調を崩しておられる方々が多くおられ、何度もぶり返すようにして、疲れが出て来るようです。また、震災から半年近くが経過し、データによると半年後ぐらいに自殺者が増える、ということを聞きました。ボランティアなどの支援体制が次第に縮小されていく中で、そういう方々をどのようにしてサポートできるのだろうかと思いながら、主の憐れみを祈っております。



植木鉢 8月24日(水)

 今朝は、前から奨励の依頼を受けておりました仙台朝祷会に行って参りました。この朝祷会は、教派を超えて、心を合わせて主に祈るための集まりで、毎週水曜日の朝7時から8時まで仙台青葉荘教会にて行われています。仙台朝祷会は、1961年12月6日に始められ、今年でちょうど50周年を迎えようとしています。今朝は第2594回とのことで、私を含めて17名の出席でした。仙台市内の牧師たちが奨励の奉仕に割り当てられ、当番にあたった牧師たちは(私を含めて)その日だけは何とか出席するという感じです。私が2000年に仙台に来てから、今日で8回目の奉仕となりました。1年ちょっとの間隔で割り当てが廻ってきます。
 私は仙台に遣わされてから、超教派のいろんな集会にはあまり出席してこなかったため、「ホーリネスの南光沢教会の先生は超教派の集会に出てこない」と言われているようです。仙台で何かの集会や大会をすると、築館の西森先生が出席しておられるのに、私は欠席しているという状態で、いつも申し訳ない思いをしております。別に何かのポリシーがあって参加しないというのではなく、仙台市内ではいろんな超教派の集まりがあって、それら一つ一つに出席していたら、とても自分の働きが追いつかなくなってしまうため、いつも失礼しています。そのために、ときには私たちの教団の他の地域の先生から、「先日、仙台の○○教団の先生にお会いしたら、『ホーリネスの仙台教会の牧師は会合に顔を出さない』と言われましたよ」などと言われてしまうことがあります。そう私に言われる先生は、あれもこれも、実にいろんな働きをしておられる先生で、私からすれば「よくもそんなにたくさんの働きができるなあ」と驚くばかりです。本当は、同じ福音派の教会として、あるいは同じ地域に仕える教会の牧師として、いろんな会合に顔を出したほうがいいのでしょうけれども、その一方で私の中では、求められるままにそれら全てに出席していたら、私のような者は手一杯になって自分の教会の働きさえ疎かになってしまう、いろんな多くの働きをするよりも、一つ一つの働きをできるだけ丁寧にしたい、そんな思いもあって、いつも失礼してしまっています。
 そんな中、この朝祷会の奉仕の依頼だけは断らず、せめてこれぐらいは協力を!と思いつつ、出席しております。いつも同じメンバーの方々が、そして皆さん私よりも年配の方々が、喜んで集っておられます。仙台の全教会を代表するようにして、毎週熱心な祈りがささげられています。いつも頭が下がる思いです。そのような朝祷会の皆さんの祈りに、私たちの教会も支えられていることを感謝いたします。



植木鉢 8月25日(木)

 久しぶりにYくんのお迎えを依頼されたついでに、少し足を伸ばして教会墓地へ行ってきました。お盆の前の清掃に行くことができず、9月の墓前祈祷会のときも委員会があるため行くことができないため、一人で行ってお祈りをしてきました。以前も写真を紹介しましたが、壁面が崩れているところは半年近くたってもほとんどそのままの状態です(写真)。私たちの墓地のすぐ後ろがガケとなっていて、ギリギリのところで難を逃れたという感じです。それでも、写真にありますように、土台の枠が少しズレたりしています。この程度で済んで良かったというところでしょう。すぐ近くのお墓は、写真のように地面が陥没して、墓石がそのまま転がっていました。まだまだお墓にまで工事の手が回らないといったところなのでしょうか。
 入院しておられるI姉はリハビリが順調に進んでいます。教会の皆さんに祈っていただき、あるいはお見舞いに来ていただいたりして、「皆さんに祈っていただいて支えられている」と感謝しておられました。「牧会し合う私たち」という今年の重点課題が、さまざまな形で進められていることを嬉しく思います。
 また、療養中のM兄が、「体調が良ければ来週の礼拝に行こうかな」と言っておられるとのこと。体調が守られ、おいでになることができるよう、どうぞお祈り下さい。



植木鉢 8月26日(金)

 昨夜の偏頭痛が朝まで頭痛が残り、結局、午前の信仰の学び会をお休みさせていただくことになりました。寒くなったり、また蒸し暑くなったり、体が気温の変化においつかないようです。
 そんな体調が悪いときにかぎって、変な夢を見ることがあるのですが、昨夜、津波で流される夢を見ました。夢の中で大きな余震があり、ある建物の屋上に避難していたのですが、そこにも津波が押し寄せてきて、みんな流されてしまい、流れてきたモノにしがみついている夢でした。震災後、地震の夢を見るのは初めてでした。もう半年近くになろとするのに、今頃そんな夢を見るとは驚きました。皆さんは同じようなことがありませんか。今でも毎日のように地震の被災者の方々のニュースなどが流されていますので、すっかり記憶の中に留まって、知らずのうちに疑似体験をしているのでしょうか。
今週の祈祷会で開いた聖句を思い起こしました。

「わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。」
(詩篇3:5)

主が私たちに健やかな眠りを与えて下さいますように。



植木鉢 8月27日(土)

 午後のゲンキ・キッズ・クラブは久しぶりのたくさんの子どもたちが集いました。夏休みが終わって学校が始まったこともあり、来ていた子どもたちに案内のハガキを出したところ、それに応えてたくさんの子どもたちが元気にやってきました。ビデオを見たあと、かき氷をして楽しみました(写真)。これらの子どもたちが引き続き来るようにと祈っています。
 夕方、今日でクラッシュ・ジャパンの奉仕を終えた篠崎修養生を利府・森郷キャンプ場まで迎えに行きました。土曜日はボランティアの数が少ないのですが、お別れに皆さんと記念写真を撮りました(写真)。その際、私がいつも傾聴ボランティアに行っているお宅に今日作業に行って下さった方から、そのお宅の畑で獲れたというキュウリと茄子をいただきました(写真)。皆さんが一生懸命に瓦礫を取り除き、試しに植えた苗が立派に育ち、収穫に至ったとのこと。とても嬉しく思いました。
 明日は午後の部会の後、篠崎兄を乗せて基督兄弟団の石巻教会に行く予定です。石巻教会は津波で大きな被害がありましたが、石巻の中心地にあり、今も炊き出しや物資の配給などで地域の方々にお仕えし、喜ばれている教会です。今週火曜日には、築館の西森先生が伝道チームの方々と一緒にボランティアのお手伝いに行かれたとのこと。そこの先生が明日東京に戻られるついでに篠崎兄を乗せて下さるとのことで、私はまだ一度も伺ったことがなかったため、篠崎兄を届けに行きながら、教会を訪問したいと願っております。
 明日の礼拝の祝福をお祈りします。




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