2013年9月5日(水)

「祈祷会」

 今夜の祈祷会には、ひとりの役員の方が出席されました。この方は、わたしたちが仙台に来てからは初めて祈祷会に出席された方です。もっとも、若い頃は祈祷会にずっと出席されていたのだと思いますが。
 このところ、水曜日の夜の祈祷会には、役員の方がひとりも出席されない祈祷会が続いています。お仕事がありますので、やむを得ないなあと思いつつも、毎週でなくても、月に1回でも、あるいは2ヶ月に1回でも出席して欲しいというのがわたしたちの願いです。
 今日出席されたその役員の方はこう言われました。「役員会で学んでいる『教会生活の処方箋』(辻 宣道 著)の中で、祈祷会に出席しないような役員ではダメだ、という言葉がグサッと胸にささっていたので、今日は冷やかしにきました」。
 その『教会生活の処方箋』の「18.役員の資質ということ」という章でこのような文章が出てきます。

役員がだれもでない祈祷会ほどさびしいものはありません。一年一度も祈祷会に出ないというひとは役員を辞退すべきです。そのひとはどこで祈祷の訓練をするのでしょう。祈祷会で訓練されぬ祈りはわがままで自己中心な祈りです。

 その方は照れ屋の方なので、「わたしが出席したら皆さんの霊性が下がってしまうので、毎週ではなく、またたまに冷やかしに参ります」と言って帰られました。
 たまにであっても、学んでいることに応答して、役員であることの自覚をもって出席して下さったことは、とてもうれいしことでした。わたしの中では、「事件です!」というぐらいの嬉しい驚きの出来事でした。
 木曜会と呼んでいる女性のための祈祷会が2〜3年前に狭い部屋からチャペルに移ったように、夜の祈祷会も、今の小さな会議室から広い部屋に移動しなければならないほどの出席者が与えられたいなあと願っています。
 神を信じるということは祈ること、祈らないのは、神を信じていないに等しいと思うからです。結局、自分を信じているに過ぎない、と。
 そういう意味で、今夜はうれしい祈祷会でした。




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