2013年5月16日(木)

「すべてよし!」

 13日(月)から15日(水)にかけて、静岡教区・中京教区に行ってきました。それぞれの先生方が、いろんな苦労がありながらも、本当によくやっていらっしゃるなあと頭が下がります。「ああ、そういうやり方もあるんだ」と多くのヒントが与えられました。違う教会を見せていただくというのは、良い学びと刺激のときとなります。
 そのような中、私が生まれ育った浜松教会に立ち寄らせていただきました。大学時代に遊びに行ったとき以来ですから、約25年ぶりの訪問です。教区会の帰りに一緒に車に乗せていただき、9年前に建てられた立派な会堂を見せていただきました。主の豊かな祝福を受けておられる様子を伺うことができ、本当に嬉しく思い、御名をあがめました。
 先生が送って下さるという申し出を断り、予約してあるホテルまで電車を使って自分で歩いて行きました。教会のすぐ近くにある上島小学校をはじめ、つい最近になって高架になった遠州電車の曳馬駅、そして新型になっている赤い車両。どれも昔を思い出す懐かしい風景ばかりでした。
 ホテルは、私が生まれたときに会堂があった同じ砂山町にあるホテルを予約していました。夕方、ホテルに着いた後、そして翌朝の朝食の前に、教会があった場所付近を歩きました。浜松駅の南、歩いてほんの数分の距離にあった昔の会堂があった場所付近はすっかり更地になっていました。再開発のためでしょう、次々と建物が取り壊されているようです。砂山銀座と呼ばれた商店街もすっかりシャッター街になっていました。それでも、近くにあった精肉店や酒店など、私が小さい頃にもあったお店が幾つかは今も営業していました。そして、もう一つ残っていたのは、私が毎日夕方まで遊んでいた小さな公園の隣にある神社。公園跡地は公会堂に変わっていましたが、神社は昔のまま。この地域で7才までを過ごした様々な思い出がよみがえりました。
 懐かしい場所を歩きながら改めて思ったことは、「ああ、自分のふるさとは浜松なんだ」ということでした。私は9才までを浜松で過ごし、9才から18才までを大分の別府で過ごしました。そのいずれの場所も両親が奉仕した場所ではあるものの、実家があるわけではないため、「自分には“ふるさと”と言える場所はない」とずっと思っていました。けれども、今回、懐かしい場所を歩きながら、「この浜松が自分にとっては“ふるさと”なんだなあ」と気づかされ、それがまた嬉しく思いました。
 その日の夕食は、浜松教会のお二人の先生が誘って下さり、おいしいうなぎをご馳走していただきました。浜松に9年間過ごしながら、恐らく初めて浜松のうなぎを食べました。教会の近くにもうなぎ屋さんがあって、ランニングシャツ姿のおじさんがうなぎを焼いているその姿を毎日のように見ていましたが、食べたことは一度もなく、そのおいしそうなにおいを嗅ぐだけでした。初めての浜松のうなぎの味は格別でした。
 お二人の先生方とお話しをしたことですが、浜松教会での火事、9才のときの悲しい転任など、いろんなことがありましたが、ひとことで言うなら「すべて良し!」という思いです。神さまのなさることに間違いはない、と。ヨセフが兄たちに言った言葉、「神はそれを良きに変らせて」(創世記50章20節)という聖句が私の心にピッタリときました。奉仕のさなか、このような恵みのときを与えて下さった主に感謝しました。

救い主イエスと 共に行く身は  
乏しきことなく 恐れもあらじ  
イエスは安きもて 心足わせ  
物事 全てを 良きになし給う  
物事 全てを 良きになし給う     
 (『新聖歌』340番)

浜松教会
会堂にて
砂山銀座
(サザンクロス商店街)

2年間通った上島小学校
遠州電車の曳馬駅
新型車両

昔の会堂があった場所
昔のままの神社
初めて食べた浜松のうなぎ


東名高速で見た富士山



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