2015年5月25日(月)

「千葉教区による南三陸町ボランティア」

 今日は、千葉教区の有志の牧師および信徒の方々による南三陸町にある応急仮設住宅での炊き出しのボランティアがあり、午後から行ってきました。今回が6回目(?)で、昨年もこの同じ時期にあり、私は今回2回目の参加でした。千葉教区からは千葉教区を中心に長くご奉仕されたOMS宣教師のアモス師ご夫妻をはじめ、牧師6名、信徒3名、計9名が2台の車で来てくださいました。


 私は少し早く南三陸町志津川に着いたため、あの防災庁舎へと立ち寄りましたが、どこもかさ上げ工事のために1年前とは道路が変わっており、以前のように町の中を車で自由に行き来することはできませんでした。志津川の町には、震災遺構として残すかどうかがまだ最終的に決まっていないという防災庁舎と、志津川病院の向かいにあった高野会館だけが残っており、そのほかの場所はかさ上げ工事が進んでおりました。


 午後4時前に仮設住宅に参りました。ココは11軒だけの小さな仮設住宅で、現在は4軒が移転され、7軒が残っているとのこと。空きが増えて半分になってしまうと、他の仮設住宅と合併になるそうです。 私たちは大きなお釜を使って薪でご飯を炊き、バーベキューをしました。千葉教区の方々が向こうですっかりと準備しておいでになり、私はほんのちょっと手伝うだけでした。午後5時半頃になると、案内を差し上げていた仮設住宅の方々 と近隣の方々がおいでになり、一緒に食事をいただきました。


 宣教師のアモス先生が、ココの仮設住宅に来るようになったキッカケを皆さんの前で話してくださいました。4年前の3月11日、米国で大震災の様子をテレビでご覧になったアモス先生ご夫妻は、愛する日本のために自分たちも何かをしたいと願い、9日後には日本へとやってきて、被災地へと入りました。最初、南三陸町の大きな避難所でボランティアをされましたが、自分たちにできることは限られているため、できれば小さなグループ、小規模の仮設住宅がないでしょうか?と主に祈り求めておられたところ、現在の仮設住宅へと導かれたそうです。その年、アモス先生ご夫妻が何度も南三陸町へと通っておられることを聞いた千葉教区の先生方が、有志でお手伝いをするようになり、やがて半年に一度、定期的に炊き出しボランティアにおいでになるようになったということでした。アモス先生は昨年10月、心臓の大きな手術をされたのですが、それでも、半年後のこの5月には日本に来たいと願い、健康が回復されて、再び南三陸町のこの仮設住宅に来ることが出来たことを喜んでおられました。お証しを伺いながら、日本を愛する宣教師ご夫妻の熱い思いがひしひしと伝わってきました。おいでになった方々も、「自分たちのような小さな仮設住宅は、大規模な仮設住宅とは事情が違って、このようなボランティアなどほとんどなく、取り残されたような思いをすることが多いが、このようにずっと覚えていてくださることは、本当に大きな励ましになる」と素直に喜んでおられました。
 私にとって、久しぶりの休みの月曜日でしたが、とても良いときとなりました。千葉教区の先生方や信徒の方々と一緒にボランティアができて、純粋に楽しかったですし、疲れたというよりも、とてもリフレッシュできました。
 自分ひとりでは、とても被災地に行って何かしようという思いはわきませんが、このように誰かが行ってくださることにより、それについて行く形で、自分も関わることができ、嬉しく思います。半年後、またおいでになる計画があるそうで、都合が合えば、また行きたいなと思わされました。



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