2014年8月14日(木)

「復興の象徴-三陸鉄道」

 台風11号が夜の間に通過し、11日(月)の朝は何とか雨がやみ、ホテルを出発する前に、すぐ近くにある浄土ヶ浜に散歩に行きました。三陸復興国立公園を代表する景勝地だそうです。残念ながら、空が曇っているため、海の色も今ひとつで、これが青い空と青い海だったらどんなにきれいだろう、と思ったことでした。


 そして、この旅行のもう一つの目的であった三陸鉄道の旅。日本初の第三セクター鉄道である三陸鉄道には、宮古~久慈を結ぶ北リアス線と、盛岡~釜石を結ぶ南リアス線があります。私たちは宮古から北に向かう北リアス線に乗り、終点の久慈駅へと向かいました。片道約1時間40分、ずっと海岸線を走るのかと思っていましたが、そうではなく、トンネルの多いこと。長女などは、「仙山線(仙台と山形を結ぶ、山の中を通る電車)みたい」と言うほどでした。実際、全区間の半分はトンネルだそうです。もともとこの鉄道が敷設されるときに、津波の被害を考慮して、でるだけ山側に線路を敷いたとのこと。現実に、海岸線に近い線路はほとんどがあの大津波によって流失してしまいました。それにしても、トンネルばかりの往復、割安の一日乗車券でも一人2,500円、4人で……。復興支援、復興支援!

 一両編成の車内は、観光客でいっぱいでした。ローカル線らしく、ときどき車窓の風景をアナウンスしてくれます。皆さん、朝ドラの「あまちゃん」をよく見ていたようで、「あ~あ、ここかぁ!」という声が聞かれました。そのうちの一つが、堀内(ほりない)駅。太平洋が一望できる場所にあり、「あまちゃん」では袖ヶ浜駅としてドラマの舞台にもなった駅です。電車はこの場所で2~3分停車。多くの乗客が降りて記念写真を撮っていました。その後も、最も眺めのいい大橋橋梁では、橋の上に電車を止めて、写真を撮るための時間をくれるサービスもありました。晴天ではないことが重ね重ね残念でしたが、それでも、三陸海岸の風景を楽しむことができました。


 11時前に終点の久慈駅に到着。もともと、三陸鉄道に乗ることが目的でしたので、久慈では観光をすることなく、すぐに、約1時間20分後に出発する帰りの電車で良い席に座るため、改札のほぼ先頭に並んで電車を待ちました。帰りは3両編成のちょっと立派な車両。JR乗り入れの盛岡行きの電車でした。展望列車の前から2列目、海側の席に座ると、ホームでは“うにすけさん”と“なもみ”(なまはげの岩手版のようなもの)が見送ってくれました。帰りはゆったりとした席で車窓を楽しんでいましたが、宮古まであと2駅というところまで来たとき、車内放送があり、「JR宮古駅で乗り入れるホームが空いていないため、30分ほど停車します」とのこと。「え~っ、ちゃんと時間の計算できてなかったの?」と驚きましたが、“C'est la vie”(セ・ラヴィ、フランス語で「これが人生さ」)と言いながら、ローカル線ならではの旅を楽しみました。


 3日間、いろいろあった旅行でしたが、宮古から再び車で盛岡へ出て、高速に乗って約2時間半、4時間半ほどかけて無事仙台に戻って来ました。高速を降りて仙台市内に入ったところで、走り始めからの走行距離がちょうどキレイな数字になったので、写真を撮りました(ちゃんと赤信号で止まったときに)。子どもみたいでごめんなさい。

 なかなか行く機会のなかった三陸側を訪れることができて良かったです。東北以外の方はあまりご存知ないかもしれませんが、岩手県というのは全国で最も面積の広い県で、南北に東北自動車道が走っているのですが、秋田県に近い内陸を通る東北自動車道から太平洋側へと抜ける道は一般道しかなく、これがまた時間のかかること。そのため、三陸海岸はとっても遠く感じるのです。今回、初めて訪れることができ、今度はいつか釜石や大船渡にも行ってみたいなあと思ったことでした。
 また、今回の旅によって、あの地にも震災によって苦しんでおられる方々がおられること、そのために懸命に支援をしておられる方々がおられることを見ることができ、改めて復興のための祈りを続けていく思いが与えられました。
 皆さんのお祈りとお支えを感謝いたします。

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