詩人は「深い淵」から主に叫んでいます。自分の力では抜け出すことのできない、望みが失われてしまったような状況に置かれていました。それは自らの罪が原因であり、神との関係が断たれた状態を「深い淵」と表現しました。
 諦めてしまいそうな状況に置かれながら、詩人はそれでも、その絶望の淵から主に向かって救いを求めて叫びました。それが出来たのは、自分の中に救いの可能性があるからではありません。主がいかなるお方であるかを知っていたからです。
 自分の罪の大きさを見つめたならば、そこには望みはありません。「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか」と詩人も語るように、神がもし私たち人間の罪を一つ一つ数え上げられるならば、神の裁きに耐えうる人はひとりもいません。詩人はそのように、自分の罪を素直に認めています。
 そこでなお、「しかし」と頭を上げるのです。「しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」。神は、人間の罪を赦してくださるお方であると告白するのです。罪を赦すということは、決して簡単なことではありません。だからこそ、御子が人となってこの世に降り、十字架で死ななければなりませんでした。その御子イエスの十字架の死があるからこそ、私たちに罪の赦しが与えられました。
 この赦しの恵みが分かるとき、人の心に神への畏れが生まれます。神を怖がることではありません。神の前にひれ伏す礼拝の心です。この赦しの神を信じて、御前にひれ伏す真実な礼拝をささげたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 神の子イエスがベツレヘムに誕生されたとき、東の国の博士たちが遠くから旅をしてやってきました。彼らは、新しいユダヤ人の王を拝むというただ一つの目的のために来ました。周りの人々からすれば、何もそこまで犠牲を払ってしなくてもいいではないか、というところでしょう。幼子イエスを礼拝しても、何の得にもならない、というわけです。
 けれども彼らは、幼子イエスの前でひれ伏して拝みました。他の人から見れば、両者の立場がひっくり返っているように見えたことでしょう。立派な服を着た博士たちが、貧しい夫婦の幼子の前でひれ伏していたのです。しかし、ひっくり返っているのは私たちのほうです。御子イエスを拝むことこそ、私たちのなすべきことであり、主イエスを拝まないとき、私たちは神ならぬ存在を神のように拝んで生きてしまいます。
 博士たちはさらに、持って来た大切な宝を幼子に献げました。見返りを求めて、何かをもらうために来たのではありません。自分たちの大切な宝を献げるために来たのです。私たちが礼拝に集うのは何のためでしょうか。神から何かをいただくためでしょうか。私たちが礼拝する理由は、何かの得になるからでなく、神が神だからです。自らの宝を献げることによって、あなたは私たちにとって大切な宝です、と告白します。
 そして、私たちが礼拝するお方は、自らを私たちに献げるためにこの世に来てくださいました。それだけでなく、最後にはご自分の命まで献げてくださいました。
 この神の恵みが分かったなら、私たちも喜んで自らを献げ、心からの礼拝を献げる者に変えられます。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 東の国の博士たちから新しい王の誕生を聞いたヘロデは大きな不安を感じ、ついに、ベツレヘム付近の2才以下の男の子を皆殺しにするという暴挙に出ました。独裁者は常に、自分の地位や利益を脅かす存在を抹殺しようとするのです。  このとき、民衆はどうだったかというと、「エルサレムの人々もみな、同様であった」と記されています。新しい王誕生の知らせは、自分たちの生活を脅かす困った知らせだったのです。彼らはヘロデの行為に顔をしかめながらも、「自分たちでなくてよかった」と胸をなで下ろしていたことでしょう。民衆にとって、自分たちの生活を守ることのほうが大事なのです。エルサレムの人々が立っているところは、ヘロデと同じところでした。「同様であった」という表現は、「彼と共にいた」と訳せる言葉です。民衆はヘロデ王と共に、同じところに立っていたのです。  私たちも、この民衆と同じです。自分の立場や生活の安定を乱すような存在との関係を断ち切り、心の中では次々と抹殺して生きています。私たちも、ヘロデ王と同じところに立ち、自ら小さな王になってしまいます。  神の子救い主は、まさにそのような者たちのところに来てくださいました。天使が告げた「インマヌエル」という名は、「神われらと共にいます」という意味です。真の王が、私たち偽りの王たちと共にいてくださる。この王は、自分のために他者を抹殺するのではなく、他者のために自分の命を犠牲にする王です。  このような王が与えられたクリスマスだからこそ、私たちはこの方を喜んで礼拝するのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 主イエスがユダヤに生まれたとき、東の国の博士たちが星の導きを頼りにエルサレムへ来て、新しく生まれたユダヤ人の王の居場所を尋ねました。ユダヤの王ヘロデの前で、彼らは大胆にも「そのかたを拝みにきました」と言ったのです。  それを聞いたヘロデは大きな不安を感じました。自分の地位や権力、富などに執着する人こそ、それらが奪われそうになることを非常に恐れ、なんとしてでも守ろうとします。ヘロデ王は学者たちに新しい王が生まれた場所を調べさせます。その心の中では、新しい王の殺害計画が密かに進んでいました。  エルサレムの民衆も、博士たちの言葉を聞いて同じように不安を感じました。自分たちの安定した生活が崩されるのを恐れたのです。人々にとって、救い主誕生のことなどよりも、自分たちの生活のことが一番大事でした。民衆もヘロデと同じであり、小さな王になって生きようとしていました。そして私たちも、自ら支配者となり、王となって自分の思いのままに生きようとします。小さなヘロデが私たちの中にいます。  そのような中、博士たちの言葉は、「あなたは誰を拝んでいるか。自ら王となっていないか」と、私たちの罪の姿を浮き彫りにします。そして、本当に拝むべきお方は、この幼子イエスであると指し示します。この王は、自分のために他者を殺す王ではなく、私たちのために最後には十字架にかけられて殺される王です。飼い葉桶に生まれ、十字架で死なれたお方こそ、私たちが拝むべき王です。  救われることは、私たちの中で王の交代が起こることです。イエスを私の王として生き始めるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 預言者マラキが活躍した時代は、バビロン捕囚が終わり、エルサレムが復興してから数十年後のことでした。その頃になると、人々の信仰に弛みが生じ、救い主の到来を待ち望む心は薄れていました。神を畏れずに生きる人々がかえって栄えているのを見て、信仰に空しさを覚えていたのです。
 そのような中、マラキは主の言葉を告げました。「主は来られる」と。道備えをする先駆けの使者に続いて、礼拝されるべきお方として主が確かに来られることを語りました。
 「主は来られる」というこの知らせは、神を畏れずに生きる人々にとっては不都合な知らせでした。この方は、正しい裁きをなさる方として来られるからです。そのとき、悪しき者たちは神の裁きに耐えることはできないからです。
 しかし、神を畏れる者たちにとってはそうではありません。悪しき者たちのように、「主は来られる」というこの知らせを、なにか恐ろしいものとして受け取ってはならないのです。神を信じる者たちにとっては、救い主が来られるからです。このお方は、私たちを裁く代わりに、自ら十字架にかかり、神の裁きを引き受けてくださいました。私たちはもはや裁かれることはありません。
 それゆえ、「主は来られる」という知らせは、私たちにとり喜びの知らせです。主イエスが誕生されたとき、羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、天使は「すべての民に与えられる大きな喜び」として、救い主誕生の知らせを告げました。アドベントにあたり、クリスマスに誕生された主がやがて再び来られることを信じ、待ち望みたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 幕屋建設のための設計図をモーセをとおして語る中で、主は「わたしはイスラエルの人々のうちに住んで、彼らの神となるであろう」と告げられました。民のただ中に主が住んでくださるということは、「彼らの神となる」ということです。エジプトで奴隷となっていた民にとり、主が彼らの中に住み、彼らの神、主となってくださる、それこそ本当の意味での救いでした。
 ヨハネによる福音書は、この荒野を旅する民の中に主が住んでくださった出来事を下敷きにしながら、神の子イエスが人となってこの世に来てくださった事実を記しました。「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」(1:14)。この「宿った」という言葉は、「幕屋住まいをする」という意味の言葉が使われています。しかも、ここで使われている動詞の時制は、歴史のある一点に起こった歴史的出来事を表現するときの時制です。神の御子が、人間の姿をとって、この世界に誕生されたという事実を驚きをもって語るのです。
 このことを記すヨハネは、12弟子のひとりとして、主イエスその目で見、その声を聞き、その体に触った人でした。最後には十字架で私たちのために死なれた救い主を目にしました。そのことを、「わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」と語りました。神でありながら人間となり、十字架の死に至るまで低きへと降られた御子の姿に、神としての栄光と溢れる恵みを見たのです。
 神の子の到来に対して、私たちは「ここに住み給え」と主イエスを心の中心にお迎えしたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 14節に「御旨に従って」祈るならば、神は私たちの祈りを聞いて下さると約束されています。ここを読む時に私たちは、「祈りがかなえられないのは、私の祈りが、神の御旨にかなわないためではないか」と思ってしまいます。しかしヨハネは、祈りの良し悪しを問題にはしていません。「神がどのようなお方か」を伝えようとしているのです。
 神は、私たちの祈りに耳を傾け、祈りを聞いて下さるお方です。「何事でも」とあるように、どんな祈りにも耳を傾け、必ず答えて下さいます。但しその答えは、必ずしも私たちの願い通りではありません。  私たちはしばしば、祈りによって、神をも自分の思いに従わせようとし、願った通りにならないと、「どうせ祈っても聞かれない」と諦めてしまいます。そんな私たちに、主イエスは「主の祈り」を教え、祈りの結果を神の御旨に委ねるようにと語りました。これが、御旨に従って祈るということです。主はゲツセマネの祈りにおいて、これを実践されました。この祈りと、その後の十字架に、神の御旨が明らかに示されています。それは、父なる神と主イエスが、御子の命よりも私たちを大切にして下さったということです。
 神の御旨は愛です。私たちを心から愛し、私たちの最善を願うものです。このお方が、私たちの祈りの声に耳を傾け、愛の御旨をもって答えて下さいます。祈りの答えは、願った通りではないかもしれません。しかしどんな答えであっても、私たちが受け取るのは、愛の御旨による答えです。このことを知る時に、私たちは安心して祈りの声を上げ、結果を全て主にお委ね出来るのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直兄)

 著者がこの手紙を書き送った相手は、ユダヤ教から改宗してクリスチャンになったユダヤ人でした。当時、ローマ帝国によるキリスト教迫害が次第に厳しくなり、信仰を捨ててユダヤ教に戻ろうかと考える人たちがいました。その彼らの信仰を励ますために、この手紙を書いています。
 その最後の章にあたり、「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起こしなさい」と語りました。信仰の模範として、最も身近な存在を挙げ、「彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい」と勧めました。自分たちに神の言葉を語ってくれた指導者たちが、生涯の終わりをどのように信仰に生きたのか、そのことをよく観察するようにと言うのです。人生の晩年においては、見せかけの信仰など通用しません。だからこそ、本物のメッセージが聞こえてきます。その信仰に倣うようにと言うのです。
 そのように指導者の最後の姿を見つめるのは、その指導者たちを誉め讃えるためではありません。その信仰姿勢を見つめているうちに、その指導者が指し示しているキリスト、その指導者を生かしておられるキリストが見えてきます。見つめる者の視線は、指導者からキリストへと移ります。だからこそ著者は、「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない」と述べます。指導者をあのように生かしたキリストは、今も変わることなく私たちの救い主でいてくださり、これからも変わることなく私たちの神でいてくださいます。  だからこそ、私たちはその同じキリストに支えられて、信仰生涯を真っ直ぐに歩むことができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 モーセは、「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」と祈りました。それはまず第一に、自分が死ぬべき存在であることを自覚して生きることです。人生の終わりを意識することで今の生き方を考え、やがて主にお会いする日に向けて、自らを整えていくことです。  では、なぜ人は死ぬべき存在なのでしょうか。それは、私たちの罪に対する神の怒りのゆえです。神の憤りを受けて私たちの人生は一息のように過ぎ去るのです。しかしモーセはそれを重々承知の上で、「主よ、どうぞ思い直して私たちの罪を赦してください!そして私たちの人生に素晴らしい喜びと楽しみを与えてください」と大胆に祈り求めました。自らが死ぬべき存在であることをわきまえると同時に、日々の生活の中で神の恵みを見出し、それを喜んで生きること、それが知恵ある生き方の二つ目のことです。  主イエスの十字架のゆえに、私たちの罪はたとえどんなに深くとも完全に赦されます。そして死はもはや恐ろしい滅びではなく、天国の希望に変えられました。ですから私たちは神の御前に自分の罪深さに気づき、申し訳なさに胸打たれ、そんな自分を生かし愛してくださる神に感謝しながら、「あなたの恵みの豊かさを味わい楽しむ人生を与えてください」と、積極的に祈り求めていこうではありませんか。神が天に迎え入れてくださるその日まで、恵みを数えつつ共に歩んでいく私たちでありたいと願います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)

 25章から31章まで、どのような幕屋を造るべきかが語られています。幕で造られた建物は、聖所と至聖所の二つの部屋に分けられました。聖所には、祭司のみが入ることが許され、一般の民が中に入ることはできませんでした。
 そして、聖所の奥にある至聖所には、大祭司だけが、しかも年に一度、「贖罪の日」だけ入ることが許されました。至聖所は、そこに神がおられるとされた最も神聖な場所であり、罪を持った人間が神に近づくことなど出来なかったのです。罪を持ったままで神に近づくなら、神に打たれて殺されてしまうからです。
 そこで、この至聖所に大祭司以外の人が入ることがないように、聖所と至聖所とを仕切る垂れ幕が設けられました。この幕は、罪を持った人間は神に近づくことはできないことを表す幕でした。それは、神と人間との間に深い断絶があることを示すものでした。
 新約聖書は、この神と人間との間を橋渡しする仲保者として、大祭司として、御子キリストがこの世に来られたと告げます。この大祭司は、動物の犠牲ではなく、自らを十字架にささげることにより、贖いのみわざを成し遂げてくださいました。私たちの罪は完全に赦されたのです。そして主イエスが十字架で死なれたとき、神殿のこの垂れ幕が真っ二つに裂けたと福音書には記されています。もはやこの隔ての幕は必要なくなった、と神が宣言してくださったのです。
 だからこそ、私たちはもはや遠慮することなく、大胆に神に近づくことができます。私たちのために、大祭司キリストがおられるからです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)