主の不思議な導きにより、今年度、私は母教会である別府教会の主任牧師とな
りました。勧士(信徒伝道者)の方が住み込んで奉仕をしてくださっているので
すが、必ず牧師が責任者として任命を受けることになっており、私が一年間、主
任牧師の任命を受けました。
 別府教会は、私の両親が1976年4月~2003年3月まで、27年間奉仕
した教会で、私も小学4年生から高校を卒業するまでの9年間を過ごしました。
 5月28日(土)~29日(日)、礼拝奉仕のために久しぶりに参りました。
私が幼い頃は賑やかだった駅前も、今ではずいぶんとさびれてしまった感じがし
ます。日曜日の朝、ホテルから教会まで、懐かしい町を散歩しながら向かいまし
た。昔と変わらないのは温泉が今でも営業されているところでしょうか。残念な
がら、今回は時間がなく、温泉に入ることができませんでした。私たちが通った
南小学校は、隣の浜脇小学校と統合され、名前はそのまま残りましたが、場所は
浜脇小学校があった場所に移っていました。その小学校の前を流れるのが、校歌
にも出てくる朝見川で、その向こうには野生のサルの餌付けで有名な高崎山がよ
く見えました。これが私の中では別府の原風景といったところでしょうか。
 教会はと言えば、私が住んでいたときから2回ほどリフォームして、いろんな
ところがキレイになっていました。庭だった教会の裏の一角には、父が植えたぶ
どうの木が立派に育っていました。秋にはぶどうの実が収穫されるそうです。
 仙台から大分には直通の飛行機がないため、行きも帰りも福岡空港周りでした。
その福岡空港で、帰りに豚骨ラーメンを食べました。美味しかったです。
 今回はあまりゆっくりできませんでしたが、あともう一回、奉仕に行く予定で
すので、そのときは温泉にゆっくりつかりたいなあと思います。
 お祈りを感謝いたします。

別府駅
駅前温泉
不老温泉
父が行っていた永石温泉
朝見川と高崎山
移転した南小学校
別府教会正面
礼拝堂
教会の庭にぶどうの木
帰りの福岡空港にて豚骨ラーメン

 今年もイースター礼拝を迎えました。今日は春らしい陽気となり、玄関にある花壇も水仙とチューリップの花がきれいに咲いています。
 コロナのために1月中旬からずっと集まる礼拝を休止していますが、先週10日から、チャペル内上限20名として、集まる礼拝を再開しました。このように皆さんがチャペルに集って礼拝をささげることができることは、なんと嬉しいことでしょう。イースターの喜びが溢れました。これからも、この集まる礼拝が続けられるようにと心から願っています。いつもお祈りを感謝いたします。

 ご無沙汰しております。この日誌は2ヶ月ぶりとなりました。昨年、コロナの感染が落ち着いて来た9月の終わりから約4ヶ月にわたり、集まる礼拝を続けていました。チャペル内の人数を上限35名としておりました。12月19日のクリスマス礼拝では、献堂記念礼拝以降で最も多い32名の出席者がありました。
 けれども今年に入り、再び新規感染者数が急増し、昨日の礼拝から、再び限定した礼拝となってしまいました。集まる礼拝が軌道に乗り始めていたところで、再び制限せざるを得ず、集っていた方々だけではなく、YouTubeによる同時礼拝をささげていた方々も、出席者がほとんどいないチャペルの様子はとても寂しく感じられたようです。ある方は、11年前のあの大震災のときのことを思い出したとのことでした。あのとき、地震で散乱した家の中の片付けがようやく終わった頃、一ヶ月後に再び大きな地震に見舞われ、せっかく片付けたものがまた同じような状態になってしまった、心が折れるようなあのときの思いが甦ったということでした。本当にそうですね。同じようなことを何度も繰り返さなければならないのは、なかなかきついものです。

 ただ、私としては、そのようにリモートでの礼拝であるにもかかわらず、自分もチャペルの中に座っているかのように、一緒になって礼拝をささげておられる方々が多くおられることを思って、とても励まされる思いがしております。今回が最後になって欲しいと願いつつ、ネットの向こうで心を合わせて礼拝をささげておられる教会の皆さんのことを思い浮かべながら、礼拝の奉仕を続けたいと思います。
 なお、各地でそのようですが、今年は雪が降る日が多く、年末から年始にかけて、毎日のように雪かきをしたことでした。昨年の冬はほとんど雪かきはしなかったのですが、今年は広くなった駐車場の雪かきを何度もしています。
 いろいろな意味で、ことさら春が待ち遠しく感じられる冬となっています。いつもお祈りを感謝いたします。

手作りの手毬が温かさを醸し出しています
広くなった駐車場

今日11月21日は母・幸子が主のみもとに召されてちょうど1年になる日でした。昨年は土曜日で、朝8時過ぎでしょうか、入所していたシオンの園の看護師の方から電話があり、母がもう息をしていない、これから医者を呼ぶところ、とのことでした。それよりも2年ほど前に、一度肺炎で一ヶ月ほど入院したことがありました。入院している間に、足の踵に床ずれができているのを目にし、認知症のためにそれを訴えることもできないでいる母の姿を見て、私たち夫婦でとても悲しくなりました。そこで、退院した後、シオンの園のスタッフに、シオンの園で看取りをして欲しいこと、もう入院させる必要はないことをはっきりと伝え、その文書に署名をしておりました。ですから、いつ召されても大丈夫、という覚悟はしておりました。ですから、突然の死の知らせでしたが、大きな動揺はありませんでした。

幸いだったのは、召される2日前、妻と二人で顔を見に行くことが出来ていたことでした。新会堂完成、献堂記念礼拝、続いて教会員の葬儀など、ずっと時間がなくて会いに行くことができないでいたのですが、葬儀が終わった翌日、「久しぶりに顔を見に行こう」と出かけることができました。「コロナが収束したら、新会堂を見せてあげようね」と言いながら帰ってきましたが、それが叶わなかったことだけが一つの心残りでしょうか。両親はいつも私たちの教会の会堂建築のために祈ってくれていて、何かあると「あなたたちの教会の会堂建築はまだなの?ずっと教団の祈祷のしおりに載っていて祈っているけど、まだ始まらないの?」と言われておりました。その新会堂の完成を待っていたかのように、主のもとに帰っていきました。
 一年になる日を前にして、ある教会員がお花を持って来てくださいました。せっかくなので、母の写真のそばに飾らせていただきました。この写真にありますように、遺骨がまだ我が家にあります。父も納骨されている教団墓地に納骨をお願いする予定ですが、コロナのために教団では合同記念会がずっと休止になっております。腐るものでもありませんから、もうしばらくこのままにしておきます。
 皆さんのお祈りとお支えを心より感謝いたします。

 アドヴェントを前にして、クリスマスの飾り付けなどの準備を始めています。
いつもいろんな手作りの飾り物を持って来てくださる教会員の方が天使の飾り物
を今朝持って来てくださり、さっそくクリスマスの飾りに添えました。
 また、一年前の献堂以来、新型コロナウイルスのために集まる礼拝を自由に行
うことが出来ていなかったため、会堂の正面玄関のライトをずっと点けていませ
んでした。道を通る人は、「この教会、やってないのかな?」と思っていたかも
しれません。「そろそろいいかな」と思い、昨日から、ライトを点けることにし
ました。これまで、「こんなところに教会があったんですね」と言われることが
度々でしたので、明かりをつけることにより、教会の存在を道行く方々にお知ら
せしたいと思っています。

 新会堂の献堂式から1年となる今日は11月第一日曜日ということで、故人記念礼拝でした。いつも行っている礼拝後の茶話会はできませんでしたが、Zoomによって故人の思い出を語っていただく時を持ちました。残念ながら、その様子を写真に収めることはできませんでしたが、教会においでになった方々は、1階の多目的室においてプロジェクターでZoom画面を映し、見ていただきました。
 献堂から1年が経ち、このところ集まる礼拝が続けられていることを嬉しく思います。会堂のことで、一つ変わったなと思うのは、2階に上る階段の手すりです。一年前の写真と比べてみてください。ちょうどいい感じで日に焼けて、白っぽかった木がいい色になりました。こうやって味が出てくるのでしょうか。
 なかなか教会においでになれない方にもう一つ情報を。教会のすぐ裏のアパートが建っていた場所にスーパーができるとお伝えしておりましたが、建物の外側は出来上がり、駐車場も整備されてきました。12月の初めに開店とのことで、急ピッチで工事が進められているようです。楽しみです。
 いつもお祈りを感謝いたします。皆さんもどうぞお元気でお過ごしください。

1年前
1年前②
今日
今日②

 新型コロナウイルスの新規感染者数が落ち着いてきたことから、先月から集ま
る礼拝を再開しています。現在はチャペル内上限35名までとしています。今日
は25名の方が教会で礼拝をささげられました。
 そして今日は礼拝後、会堂清掃(大掃除)を行いました。これまで旧会堂では、5月上旬と11月下旬の年2回、大掃除を行ってきました。昨年11月の献堂式の後、コロナのこともあり、まだ一度も大掃除は行ってきませんでしたが、献堂から一年が経つこと、またコロナが落ち着いていることから、初めての大掃除を行いました。幸い、今日は天候もよく、気持ちよく掃除をすることができました。
 いつも皆さんのお祈りを感謝いたします。

 

  ご無沙汰しておりました。しばらく日誌を更新していないなあと思っていましたが、確認しましたら、3ヶ月ぶりだったのですね。いろんなことに負われて、その余裕がありませんでした。守られて過ごしております。
 今日は午後、墓前祈祷会に行ってきました。天気予報では台風の影響で嵐になるという最初の予報でしたので、教会墓地に比較的近いMさんご家族が昨日のうちに墓地の清掃を済ませてくださいました。感謝です。今日の天気が心配されましたが、午前中の雨も昼には止んだため、有志で行ってきました。曇っていましたが、それでもとても蒸し暑く、お掃除もしていたら大変だったと思います。良かったです。賛美をささげ、聖書を読んだ後、心を合わせて祈りをささげました。
 私たちの教会では、最近はずっと集まる礼拝を再開しておりましたが、このところのコロナの新規感染者の急増により、そろそろ再び奉仕者のみの礼拝を検討せざるを得ない状況になっております。デルタ株の感染力は予想以上で、教会員のご家族の職場等でもクラスターが発生したとの知らせがあり、改めて、十分な注意が必要であると再認識しております。このような中で、医療従事者の方々、保健所等の方々がどんなに大変な思いで働いておられるのかと思います。出口が全く見えない中で、気力を保ち続けることに限界をもうとっくに超えているのではないかと思います。一刻も早く減少へと向かうように、主の憐れみを祈り求めます。皆さんのご家族も守られますように。

 昨日、またまた大きな地震でした。結構揺れましたよね。新会堂が建ってから、震度5クラスの地震はこれで何度目でしょう。それも土曜日ばかり。私の気持ちとしては、地震のたびに、この新しい建物が倒壊しないように、必死に壁を押さえている、という感じです。残念ながら、私が壁を押さえても、建物を支えるこ
となどできないことは分かっていますが、「倒れるなー」という思いで壁を支えています。もうそろそろ終わりにして欲しいのですが……。
 5月に入り、外の掲示板に聖句を貼り出しました。夜は明るいライトも付きますし、以前よりも低い位置に掲示板があって、道行く人の目に留まることでしょう。コロナの状況の中で、習字教室に通い続けておられたI姉が書いてくださいました。感謝です。
 また、10日ほど前に行われた植栽工事のあと、土がかぶせられていた芝生が少しずつ出てきました。暖かくなり、これからどんどん伸びてくることでしょう。うれしい春の訪れです。
 そして、今日のCSですが、初めて出席してくださった方が2家族おられました。教会員のお孫さんで、連休中に泊まりに来ておられるということで、頑張ってZoomにアクセスしてくださいました。夏のキャンプにも参加したことのあるお子さんで、姉と弟の2人が出席してくれました。もう一つのご家族は土曜日のゲンキ・キッズ・クラブに来ていた小学生の姉と弟のきょうだいです。こちらも夏のキャンプに参加したことがあります。昨年の3月以降、ずっとゲンキ・キッズ・クラブは休止状態が続いていますが、日曜日の朝のCSをZoomでやっていることをお母さんにお知らせしたところ、今日初めて出席してくださいました。

 Zoomでなければ、なかなか日曜日の朝の時間にCSに出席することなど出来なかったことと思います。このような形で、CSが続けられていること、主の深い導き、恵みを覚えて感謝しました。
 宮城県では、新型コロナウイルスの新規感染者がだいぶ減ってきましたが、皆さんの地域ではいかがでしょうか。近畿や関東などの新規感染者の増加をみると、宮城県も安心しているわけにはいかないようですね。連休中、皆さんもどうぞお元気でお過ごしください。

 先週18日(日)は家内の説教でしたが、私との身長差が30センチ近くあるので、聖書などを置く台を取り替えました。普段は、私の背に合わせて、高さのある台を使い、マイクも私の口元まで届くように台の上に載せています。けれども先週は祈祷会などで使っている低い台を使いました。今後、このようなこともあると思い、先週、急いで踏み台を作りました。結構な重さがありますが、動かせやすいように、底に100円ショップで売っていたフェルトのようなものを付けてありますので、司会者と私が入れ替わるようなとき、これを滑らせて動かす
ことができるものを思っています。
 また、自分の礼拝の映像はほとんど見ないのですが、講壇周りの光が十分ではないため、後ろの十字架の光が逆光になり、映像がぼやけて見えるため、小さなライトが当たるようにしました。明るいほうが、ビデオカメラのピントが合うようです。
 もう一つ、先週、久しぶりに家内が説教をするとき、会衆席に誰もいない中では話しにくい、ということで、ご覧の通り、聴衆を用意しました。娘が置いて行ったぬいぐるみの中から選ばれた3名。左から、ミッキー、マイメロディ、スヌーピーです。スヌーピーは、私の説教中、このようにずっと居眠りをしていました。
 皆さんはいかがでしょうか? 眠くなるような説教をしているようじゃあ、まだまだダメですね。聖霊の助けにより、牧師が聴く者の心に届く説教を語ることができるように、どうぞ引き続きお祈りください。