「御国を来たらせたまえ」
(ルカ17:20-21)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主の祈りの第二の祈りは、「御国を来たらせたまえ」。御国とは、天国、あるいは神の国と言い換えることもできます。私たちがすぐにイメージするのは、信仰者が死んだ後に行く所ということでしょう。そしてもう一つは、世の終わり、主イエスが再臨されるときに実現する神の国ということです。初代教会の人々は、「マラナタ(主よ、来たりませ)」と切に祈り求めていました。
 もし、この第二の祈りが、死後の世界や再臨において実現する国を指すとしたら、私たち多くの人にとり、今すぐには聞かれなくてもいい祈りになることでしょう。しかし聖書では、神の国は将来に実現する国ということだけでなく、今すでに来ているものとしても語られています。
 主イエスがパリサイ人から「神の国はいつ来るのか」という質問を受けたとき、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。ここで言われている神の国とは、どこかの場所や空間を表すのではなく、「神の支配」と言い換えられる言葉です。神が恵みをもって支配してくださる、それが神の国が意味するところです。
 私たちの現実の世界は、神ではなく人間に過ぎない者たちが、まるで支配者のように振る舞っています。私たち信仰者の中でも、キリストの恵みの支配が始まったものの、未完成の状態であって、キリストの完全な支配を待ち望んでいる途上にあると言えるでしょう。神が支配してくださることこそ、私たちにとっての祝福です。だからこそ、この祈りが私たちの心からの願いとなります。「御国を来たらせたまえ」と。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)