「『父よ』と神を呼ぶ喜びへの招き」
(マタイ6:5-15)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 私たちが祈るとき、天の神に向かって「父よ」と呼ぶようにと主イエスは教えられました。主イエスが話しておられたアラム語では「アバ」、これは幼子が父親を呼ぶときの言葉で、愛と信頼を込めた、本当の子だけが口にできる言葉です。私たちが天の神に向かってこのように呼べるのは、恵みによって神の子とされたからです。そこには、「父よ」と呼ぶことができる者とされた大きな喜びがあります。
 祈りにおいて、私たちはそのような喜びをもって神を呼んでいるでしょうか。どのように呼ぶかは、神をどのようなお方として捉えているかということを反映します。異邦人は神のことを、与えることを拒む方と思っていたため、自分たちがくどくどと祈らなければ聞いてくださらない方と理解していました。
 私たちは神を自分の父親のイメージと重ねてしまうため、父なる神を誤解してしまうことがあります。私たちはあくまで、御子キリストをとおして、また御子について記した聖書をとおして神を知ります。主イエスによって表された神は、私たちに対して喜んで良いものを与えてくださる方であり、私たちのために御子の命をさえ与えてくださる方です。私たちの救いのために、最も大切な御子の命を十字架において与え、それによって私たちを神の子としてくださいました。このような神だからこそ、私たちは喜びと感謝をもって、「父よ」と呼ぶことができるのです。
 主イエスは私たちが愛と信頼をもって「アバ、父よ」と呼ぶように招いておられます。主イエスの十字架の恵みによって神の子とされた者として、大きな喜びをもって「父よ」と神を呼ぼうではありませんか。
(仙台南光沢教会 佐藤信人牧師)