「明日を神の手に委ねて」
(マタイ6:25-34)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 私たちは先々のことを心配して思い煩います。そのような私たちに対して、主イエスは「空の鳥を見るがよい」と言われました。鳥は食べ物を求めて一日中忙しく飛び回っていますが、明日の食べ物をどうしようかと悩んだりはしません。自分たちの力ではどうすることもできないからです。そのような鳥たちについて、「あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる」と言われます。神が小さな鳥を慈しんでおられるからこそ、鳥は生きることができるのです。
 その上で主イエスは、「あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか」と語られます。これは天の神がご覧になった私たちの評価です。私たちの存在を「価値がある」と言われるのです。
 さらに主は、野の花を見るようにと促します。明日には枯れて火に投げ入れられる草花が美しく咲いている姿を見せながら、今日一日を精一杯に生きることの大切さを教えます。そして、神が美しく装っていてくださる野の花以上に、私たちのことを顧みてくださるというのです。
 そして、結論のようにして、「あすのことを思いわずらうな」と言われます。私たちは明日のことを心配するあまり、今日一日を大切に生きることをやめてしまうからです。それは自分が人生の支配者になろうとすることです。しかし、神を信じ、礼拝するということは、「私ではなく、あなたこそ真の支配者、主です」と告白することです。明日のことは、私たちの主の支配に委ねるのです。
 私たちがそのように出来るのは、御子イエスをさえ与えてくださったお方が私たちの父でいてくださるからです。私たちに十分な恵みをそそいでくださる主に、安心して明日を委ねることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)