「受容の福音」
(ローマ15:7-13)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ローマ人への手紙の本論の最後にあたり、パウロはこれまで語ってきた内容を要約するようにして、救われるとはどのようなことなのかを改めて違う表現を用いて語ります。「こういうわけで、キリストもわたしたちを受け入れて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである」と。救われるとは、神によって受け入れられることである、とパウロは語ります。
 主イエスが語られた放蕩息子のたとえ話の中で、父親の財産を使い果たして戻って来た弟息子に対して、父親は彼を喜んで迎え入れました。息子としては、「もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません」と言おうとしました。ところが父親は資格のない息子を受け入れたのです。これを知った兄息子は怒りに震えました。財産を使い果たしておきながら家に戻ってきた弟に対して、またその彼を迎え入れた父親に対して怒ったのです。
 私たちもこの兄のような思いを自分自身に対して持ってしまうことがあります。神が罪人の私を受け入れてくださったのに、なお自分を受け入れることができず、そのために他の人をも受け入れることができずに苦しむことがあります。けれども神は、御子キリストの十字架のゆえに、私たちを受け入れてくださいました。そこには、ユダヤ人も異邦人も、どんな人も区別などありません。ただキリストの恵みによって神に受け入れられたのです。
 恵みによって自分自身を受け入れていくとき、他者をも同じように受け入れて生きる歩みが始まります。神の恵みにより、互いに受け入れ合う者へと変えられていくのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)