「他者の弱さを担う」
(ローマ15:1-6)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロは引き続き信仰の強い者たちに向かって語りかけます。それは信仰の弱い人を裁いてつまずかせるのではなく、その弱さを担ってあげなさい、というのです。その人の霊的成長のために、手を貸してあげなさいということです。
 これは、自分だけを喜ばせようとするのではなく、隣り人を喜ばせようとする姿勢です。その勧めの根拠として、「キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった」と語ります。ご自分を喜ばせる権利を最もお持ちの方が、ご自分を喜ばせることを第一とされず、隣人どころか、神の敵であった私たち罪人が喜ぶことを第一にされたのです。私たちが喜ぶこと、私たちが罪から救われることが、神にとっての大きな喜びとなるからです。
 その私たちのために、主イエスは私たちの罪の弱さを担ってくださいました。「になう」という言葉は、ヨハネ福音書で「イエスはみずから十字架を背負って」という聖句で使われています。私たちの罪の弱さを担うために、主イエスは私たちが負うべき十字架を背負ってくださいました。罪の弱さに負けてしまう私たちのために、力あるお方が十字架によって罪を担ってくださいました。
 私たち一人ひとりは実に弱い者たちです。それでもなお、望みを持つことができるのは、私たちの神が「忍耐と慰めとの神」だからです。神は私たちに対して忍耐の限りを尽くし十字架にかかってくださいました。忍耐できないのは私たちのほうでしょう。自分に対して、他者に対して忍耐できない者たちです。しかし、神の忍耐による救いを受けて、私たちも他者の弱さを担う者へと変えられていきます。そして、心を合わせて共に神をたたえて生きるのです