「救い主を受け取る」
(ルカ2:22-35)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 エルサレム神殿の近くに住み、礼拝と祈りを続けていたシメオンは、救い主が来られるのを待ち望み続けていました。そのような彼は、神から「主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはない」との約束が与えられていました。そのため、シメオンは諦めることなく、救い主の到来を待ち続けていました。
 そこへ、マリヤとヨセフが幼子イエスを抱いて神殿の中に入ってきました。律法の規程に従って、幼子を主にささげるためでした。シメオンは3人を見たとき、この幼子こそ、待ち望んでいた救い主だと確信しました。女預言者アンナもそこに加わり、二人はメシヤとの出会いを喜びました。
 このシメオンたちの救い主との出会いは、羊飼いや博士たちとのそれとは大きな点で違っていました。羊飼いや博士たちは、自分たちから救い主に会いに行きました。けれどもシメオンたちの場合、救い主のほうがベツレヘムからエルサレムまで小さな旅をして、彼らのもとに来てくださったのです。年老いたシメオンたちにとり、遠くまで行くことができず、ただ来てくださるのを待つしかなかったのです。
 シメオンはマリヤに頼み、幼子を自分の腕の中に抱かせてもらいました。救い主をその腕に受け取ったのです。そのとき、「これでもう安心して死ぬことができる」と言いました。神による救いをその目で見たからです。主が自分を受け取ってくださると信じることができたのです。
 クリスマスは、神が与えてくださった救い主を受け取るときです。今日も、私たち一人ひとりに救い主が差し出されているのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)