「誰に合わせて生きるのか」
(ローマ12:1-2)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロはキリスト者の倫理の大原則を語るにあたり、「あなたがたは、この世と妥協してはならない」と勧めます。この世と調子を合わせ、同化して生きることがないように、ということです。なぜこのようなことを命じるかというと、「この世」はキリスト者に対して、「自分たちに合わせるように」と働きかけてくるからです。そして、その「世」とは、御子キリストを十字架につけて殺した世です。そのキリストに従って生きようとする者たちに対しても、同じような圧力をかけてきます。
 これに対してパウロは、何が神の御旨であるかを弁え知るように、と勧めます。世にあって生きるとき、私たちの信仰の感性は鈍くなり、何が神の御心なのかが分からなくなってしまうことがあります。さらに、分かっていながらも、世の働きかけてに屈するようにして、調子を合わせてしまうことがあります。問われているのは、誰に合わせて生きるのか、ということです。キリストとこの世と、私たちの本当の主人は誰か、という問いでもあります。私たちは、自分を守ろうとして、この世に、人に合わせて生きようとすることがあります。神に喜ばれることよりも、人に喜ばれる道を選ぼうとします。
 そのような中、私たちは心の向きを変え、まっすぐに神に向き直り、神によって造り変えていただくことを求めるようにと語ります。主イエスが山の上で栄光の姿に変えられたように、私たちキリスト者は、神を見つめつつ生きるとき、キリストに似た者へと変えられていきます。私たちのために、自ら姿を変え、人となって十字架にかかってくださったキリストを見つめ続けるとき、私たちの内に聖霊のみわざとして、そのような大きな変革が起こるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)