「自らを神にささげる」
(ローマ12:1-2)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロはキリスト者の倫理を語り始めるにあたり、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい」と勧めています。「からだをささげる」とは、自分の存在のすべてを「どうぞお使いください」と、主のもとに置くことを意味します。まさに献身の勧めです。
 パウロはこの勧めを誰に向かって語っているのでしょうか。青年大会において、若者たちに呼びかけているのでしょうか。「兄弟たちよ」と呼びかけているように、これは教会に連なる全ての兄弟姉妹に対して、老いも若きも、男性も女性も、全てのキリスト者への呼びかけです。
 私たちは、献身などは信仰に熱心な人たちの話であって、自分には関係のないこと、と考えてしまうかもしれません。けれどもそうではありません。パウロは全てのキリスト者に対して、献身を迫っています。その献身について、「それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」と語ります。これは「なすべき当然の行為」「理に適ったこと」という意味です。献身しないキリスト者というのは、道理が通っていない、とパウロは言うのです。
 それは、全てのキリスト者は「聖なるもの」とされているからです。「聖なるもの」とは、「神のもの」ということです。キリストが十字架で命をかけて救い出してくださったことにより、私たちの存在は神のものとされました。神のものなのだから、自分を神にささげなさい、と勧めるのです。私たちのために、惜しむことなく自らをささげてくださった主イエスに対して、私たちが献身を惜しむことなどあるでしょうか。喜びをもって、自らを主におささげしようではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)