「ささげる礼拝を」
(ローマ12:1-2)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロはキリスト者がいかに生きるべきかを語り始めるにあたり、その大原則として、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」と語りました。自らを神にささげること、それがキリスト者がなすべき礼拝である、というのです。この「礼拝」とは、英語では「サービス」という言葉です。礼拝とは、そもそも神に対してサービスをすることです。
 ところが、私たちの実際の礼拝はどうでしょうか。自分が神にサービスすることよりも、神によってサービスされることばかりを求めてはいないでしょうか。「ささげる礼拝」よりも、「受ける礼拝」に関心が集中しているのです。私たちキリスト者が、神から恵みを受けることばかり考えているとしたら、神社仏閣のご利益信仰と大差ありません。
 大切なのは、受けるだけでなく、「ささげる礼拝」をささげ続けることです。パウロはここで、自分の体を生きた供え物としてささげるようにと勧めています。旧約時代の礼拝は、動物をいけにえとしてささげることが中心でした。けれども今は、罪の赦しを求めて犠牲をささげる必要はなくなりました。御子キリストが過越の小羊として十字架に犠牲となってくださったからです。すでに、神が最大のサービスを私たちにしてくださったのです。
 「そういうわけで」とは、「あなたがたはこのような神の命がけのサービスを受けたのだから」ということです。神の恵みが分かった者たちは、喜んで自らを神にささげて生きることを始めるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)