「神はその民を見捨てない」
(ローマ11:1-10)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 異邦人が救われ、選ばれた神の民が救われない現実を前に、「神はその民を捨てたのであろうか」とパウロは問います。それに対して、「断じてそうではない」と自ら否定します。その理由として、イスラエルの中イスラエルとも言うべき自分が救われたということは、神がイスラエルの民を捨ててはおられないことのしるしだ、と言うのです。
 さらに、旧約の預言者エリヤのことを引き合いに出します。アハブ王がバアルの神を礼拝し、国全体が偶像礼拝に傾く中で、エリヤはそれを必死に食い止めようと、バアルの神との対決をしました。大勝利を収めた後、アハブの妻イゼベルの「エリヤの命を奪え」という命令を耳にして、エリヤは恐れをなし、荒野を彷徨い歩きます。心神耗弱の状態に陥っていたエリヤに対して、「あなたはここで何をしているのか」という神の声がかかります。エリヤは、自分がどれほど孤独に耐えながら一人で頑張ってきたのか、それにも関わらず、今命が奪われようとしている、そのことを訴えました。それに対して、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」と主は語られました。自分だけが残されたと思っていたエリヤに、「あなた以外にも、多くの民が残されている」と言われたのです。
 パウロはこのことを語りながら、今も神は恵みによって選ばれた者たちを残しておられる、と言います。それは神がその民を見捨ててはおられないことの証拠だというのです。
 この国に生きる私たちも、「自分ひとり」と孤独を感じることがありますが、神は「ほかにも多くの者がいる」と言われます。他の方々の救いのために、私たちをそれぞれの場においていてくださるのです。