「神の慈しみと厳しさ」
(ローマ11:11-24)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 イスラエルが福音につまずき、神に捨てられたように見えたものの、それによって異邦人に救いが及んだことをパウロは見いだしました。イスラエルの罪が、異邦人の祝福につながっていたというのです。それだけでなく、異邦人が救われることによって、イスラエルがそれを妬み、信仰へと奮起させられるという神の不思議な計画をそこに見たのです。
 そのように、イスラエルが神に完全に捨て去られてしまったわけでなく、回復の望みがあることを植物の例えを用いてパウロは説明します。異邦人が救われたということは、イスラエルの民が折り取られた場所に接ぎ木されたようなものだというのです。神が台木であるイスラエルの父祖を祝福し、聖なるものとしておられるゆえに、異邦人はその祝福に与っているに過ぎないのです。ですから、彼らは何一つ誇ることはできません。もし神が台木であるイスラエルを惜しむことをされなかったなら、異邦人が救われることなど起こらなかったからです。
 パウロは、「神の慈しみと厳しさを見よ」と述べます。神の厳しさは罪を犯したイスラエルに向けられ、神の慈しみは異邦人の救いに表されています。けれども神は、なおもイスラエルの民を惜しんでおられ、救おうと願っておられます。それは神が「御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかた」だからです。私たちの神は、罪人を滅ぼし去ることを惜しみ、代わりに御子を十字架につけたお方です。キリストの十字架に、神の慈しみと厳しさが現されています。この神の慈しみを知った者たちは、神のもとへと帰る者とされるのです。