「途上の死を受け入れて」
(申命記34:1-8)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 私たちは皆、人生の途中で、やりかけのことを残したまま天に召されて行きます。どんな人の死も、「途上の死」とも言うべき側面を持っています。旧約の偉大な信仰者モーセもそうでした。出エジプトの民を率いて40年の荒野の旅を続けた後、モーセたちはついに約束の地の手前までやってきました。ヨルダン川を渡ればそこが約束の地でした。
 ところが、神はモーセに対して、「おまえはこのヨルダンを渡ることができない」と言われました。約束の地に入ることなく、こちら側で死ぬというのです。詩篇90篇は「神の人モーセの祈」という表題が付いていますが、人は神から「人の子よ、帰れ」と声をかけられて死を迎えると記されています。モーセはこのとき、「モーセよ、帰ってきなさい」と声をかけられたのです。
 もう120才に達していたとはいえ、約束の地を目前にして死ななければならないのは、モーセにとっても無念だったでしょう。やりかけの仕事を残したまま、その途中で死を迎えるということは、全ての人にとって最後の、そして最大の試練でしょう。死の現実を受け入れるには葛藤があり、時間がかかるものです。
 モーセは民に向かって、「私はここで死ぬ」と告げることをとおして、自分の死を受け入れていきました。モーセは主の命令に従って、約束の地に入ることなく、あとは全てを主の御手に委ねて死んでいきました。
 私たちも、親しい者の命が奪われるとき、大きな悲しみを経験します。それでもなお、全ては主の御手にあり、深い神の御旨をそこにあると信じて受け止めます。そこに、新しい出発をする力が与えられるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)