「神のみ心と人の思い」
(創世記21:1-21)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 100歳のアブラハムと90歳のサラに、神の約束の成就としてイサクが与えられました。しかし既にアブラハムには、女奴隷ハガルとの間に生まれたイシマエルがいました。それは神の約束を待ちきれなかったアブラハム夫婦の工作によるものでしたが、ここから家庭はお世継ぎ問題の修羅場となりました。
 身勝手なサラは、今や邪魔者となったイシマエル親子を荒野に追い出すよう、アブラハムに要求します。すると苦悩するアブラハムに神は語られました。「あなたは苦しまなくてよい。あなた方の不信仰から発したすべての問題の後始末を私が引き受ける」と。そしてイサクの子孫が正統な跡継ぎであり、同時にイシマエルをも祝福して一つの大いなる国民にすると、新しい約束をアブラハム夫婦とハガルに与えてくださったのでした。
 全能なる神は人の思いや罪や弱さ、失敗をもご自分の計画に新たに取り込んでくださり、それをみ心に沿って用いることができるお方です。ただ、これは決して人の罪や弱さが正当化されているわけではありません。神はご自分の主権に基づいて、初めの計画からすればみ心ではない事柄にも心を配られ、憐れみを示してくださるということです。たとえそれが私たちの罪の結果であれ、私たちがどうすることも出来ない事態に、神はいつも慈しみ深く関わってくださり、尻ぬぐいをしてくださるのです。
 私たちはこのお方のみ手に自分の人生を委ね、私たちの内に神のみ心が成っていくことを求めて生きていくのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)