「主が建ててくださる」
(詩篇127篇)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 教会堂を建てるときの起工式などでよく読まれるこの詩は、新会堂の建築を願う私たちが常に心に留めておくべき聖句です。表題に「ソロモンがよんだ都もうでの歌」とありますが、この1、2節には「むなしい」という言葉が繰り返されています。家を建てるのも、町を守るのも、また日々の労働においても、主が共にいて働いてくださるのでなければ、その人間のわざは空しい、と言うのです。これは人間の働きそのものを全否定しているのではありません。神の存在を計算に入れず、神を抜きにしてわざを進めようとすることの空しさを語っています。
 このように詩人が語るのは、私たち信仰者が、主に対する信仰を告白しながらも、現実的なわざになると、神を退け、自分たちの知恵や力だけで事を進めようとするからです。主なる神ではなく、いつの間にか自分たちが主人となってしまいます。そのような私たちに、主の導きに信頼し、具体的なわざにおいて、主を中心に迎え入れるようにと勧めます。
 出エジプトの民が荒野で幕屋を建設するときも、主が命じられたとおりに従いました。その主の御心を熱心に求めたからこそ、使徒行伝の教会は激しく意見をぶつけ合いました。しかし、一度結論が出ると、潔く自分の考えを取り下げ、「これぞ主の御心」と信じて一致協力しました。話し合いの中に、主が御心を現してくださると信じていたのです。
 主を中心にお迎えした神の民は、ヨルダン川を渡るときも勇気をもって踏み出し、幕屋を建設するときも、主によって心を動かされ、喜んでささげものをしました。私たちも「主が建ててくださる」と信じ、主のみわざに期待しつつ、信仰の一歩を踏み出して行きたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)