「わたしについてきなさい」
(マタイ4:12-22)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ガリラヤ湖のほとりを歩いていた主イエスは、湖で漁をしているペテロとアンデレをご覧になり、彼らの日常に入り込むようにして、「わたしについてきなさい。」と声をかけました。すると彼らは、すぐに網を捨てて主イエスに従いました。漁師という仕事を捨て、主イエスの弟子となる道を選んだのです。
 彼らは、漁師として代わり映えのしない日々を送りながら、思い通りにならない現実や、突然の痛みや苦しみを経験する中で、将来への希望と生きる意味を見失っていました。日々の生活の中に、神がおられなかったからです。主イエスは、暗黒と死に支配されて生きていた彼らに、希望といのちを与るために、彼らの生活の中にまで入ってこられました。彼らの人生に伴い、彼らと共に歩みたいと、強く願われたのです。
 「わたしについてきなさい。」これは、「わたしはこれから、どんな時にもあなたと共にいよう。」という約束の言葉です。主イエスの言葉から希望といのちを受け取ったペテロとアンデレは、大きな喜びをもって主イエスに従っていきました。
 今、主イエスは、聖霊によって私たちの生活の中にもおいでになって「わたしについてきなさい。」と招いておられます。どんな時でも、主イエスは私たちと共におられ、愛の御手をもって導いて下さいます。ここに、私たちの希望があります。主イエスが与える希望とは、「たとえ明日が嵐の日であっても、それも、私を愛しておられる方の手の中にある」と信じられることです。私たちは主イエスの言葉によって、未来への不安から解放されて、今を精一杯生きるようになるのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)