「ひれ伏す喜びの礼拝を」
(詩篇95:1-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 詩人は私たちを神を礼拝する喜びへと招いています。その礼拝とは、神の前にひれ伏すことです。私たちプロテスタント教会では、文字通りひれ伏すことはしません。問題は、その心において神の前にひれ伏しているかということです。説教を聞きに来ても、そこで神を礼拝していないことがあるからです。
 人は、神の本当の偉大さを知ったならば、命じられなくてもひれ伏すものです。私たちの問題は、神の大きさが分からず、神を小さな存在にしていることでしょう。神の前に自分を低くすることによって、礼拝の心を表すものですが、私たちは神の前に自分が大きくなり過ぎています。そればかりか、礼拝においても、自分を大きくすることを追い求めてしまいます。これでは、ご利益を得るためにお参りをする世の宗教と何も変わりません。神の前にひれ伏す真実な礼拝をささげることこそ、被造物である私たち人間に必要なことです。神を礼拝しないとき、人は自ら神になってしまうからです。
 そして、人間が神にならないように、神が人となってこの世に来てくださいました。神の本当の偉大さは、私たちの救いのために、御子キリストが十字架にかかってくださったことにあります。神がまず、私たちを御子イエスの命と引き換えにするほどに価値あるものとしてくださいました。その恵みに感謝して、「わたしたちにとり、あなたこそ最も価値あるお方です」と告白する礼拝をささげるのです。
 礼拝の中心に主が臨在しておられると信じて、真実な礼拝をささげるように呼びかけられています。大きな喜びへと招かれているのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)