「時にかなって美しい」
(伝道の書3:1-15)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 一年の最後の日を迎え、この年の歩みを振り返るとき、結婚の喜びがある一方で、教会員の相次ぐ急死という大きな悲しみもありました。これらをどう受け止めればいいか、惑う私たちに対して、「すべてのわざには時がある」と語られています。人間が計画する時ではなく、神が定めておられる時ということです。神が、それぞれにふさわしい時を備えておられるというのです。
 著者はさらに、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とさえ語ります。これは伝道の書を記した人の言葉です。この書の冒頭で、「空の空、空の空、いっさいは空である」と嘆いた人です。人生の空しさというものを嫌というほど経験してきた著者が、「美しい」と言うのです。これは、一つ一つの出来事の結末を見て、「やはりそうだった」と述べているのではありません。人生の空しさを実感し、不条理に心を悩ませながらも、「それでも、神のなされることはすべて時にかなって美しい」と言ってのけました。これは神に対する信頼、信仰の言葉です。
 しかし、私たち人間は、「すべて美しい」とは言えない思いを抱えることがあります。「なぜこのようなことが起こるのか?」という出来事に遭遇したときです。そのことについて、「人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない」と著者は言います。限界のある人間は神のみわざの全体像を見ることができないため、「美しい」とは思えないことがあります。
 そう思えないときも、私たちは信じることができます。御子キリストをさえ与えてくださった神がなさるわざだからこそ、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と信じて、歩みを進めていくのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)