「神のシナリオ、私のシナリオ」
(列王紀下5:1-14)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 スリヤの将軍ナアマンは重い皮膚病を癒してもらうために、神の預言者エリシャを訪ねました。馬と戦車、大量のお土産と多くの僕を従えて、プライドの塊となって出かけて行った彼は、自分は将軍として敬意を持って迎えられ、ありがたい儀式で癒やされるに違いないと確信していました。ところがエリシャは顔も出しません。人をよこして、「ヨルダン川で身を7回洗いなさい」と、ただそれだけです。自分のシナリオ通りにいかなかったナアマンは怒り心頭に発し、神の言葉を拒絶して帰ろうとします。しかし僕たちに諭され、思い直して神の言葉の通りにしてみると、彼の皮膚病は完全に癒されたのでした。
 「私のシナリオ」はしばしば主権は神ではなく、私にあります。自分のこだわりや思い込みに固執して、神を自分の思い通りに動かそうとします。しかし、「天が地よりも高いように、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」と主は言われます(イザヤ書55:9)。神は私たちの思いよりも遙かに高く、深い御心をもって、私たちの人生に大きな祝福のシナリオを用意してくださるのです。
 私たちの罪を赦すために、み子キリストを私たちの身代わりに十字架につけてくださったお方が、愛をもって私の人生の主権を取ってくださいます。そして、「心配することはない、神のシナリオに生きよ」と私たちを招いておられます。様々な迷いや不安を抱えつつも、このお方の導きに従っていこうではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)