「神に召された者たち」
(ローマ1:1-7)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 神に召されて使徒となったパウロは、ローマのキリスト者に対して、あなたがたも同じように神に召された者たちである、と告げます。そのことを三つの表現で言い換えます。
 一つは、キリストに属する者となった、ということです。かつてはサタンに属する者であったのが、キリストの贖いにより、キリストのものとされました。そのことと同じ意味の言葉が、「聖徒」という表現です。すべてのキリスト者は、神のために区別された者たち、すなわち聖徒です。そしてもう一つ、「神に愛されている人々」とパウロは呼びかけます。御子キリストが命をかけるほどに、神によって大事にされているというのです。ローマ帝国によるキリスト者迫害が厳しくなる中で、パウロはどうしてもローマの人々にこのことを知って欲しいと願いました。
 このパウロの言葉は、仙台の教会に集う私たちにも語られています。私たちはこの神の言葉をどのように受け止めるでしょうか。感謝して受け止めるよりも、自分にはそのように呼ばれる資格などない、という思いが先に立つかもしれません。けれども、神に召されるということは、私たちに何かの資格があるからでも、基準を満たしているからでもありません。神の一方的な恵みです。
 「召されて」という言葉は、「その名をもって呼ぶ」という意味です。神が私たち一人一人の名を呼び、ご自分のもとへ招いてくださいました。エリコの町のザアカイの名を主イエスが呼ばれたように、主が呼んでおられることが分かったら、私たちはその呼びかけに応えて立ち上がります。神の力強い招きは、私たちを立ち上がらせる力があるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)