「キリストの福音を語る」
(ローマ1:1-7)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ローマにある教会に手紙を送るにあたり、パウロは自己紹介の後、これから自分が語ろうとしていることを要約するかのように、福音について述べます。福音という言葉は、戦争における勝利の知らせのことですが、聖書は、イエス・キリストの出来事を喜びの知らせとして、福音として語り伝えました。それはすでに旧約の時代から約束されていたものであり、神から生まれたものでした。
 その福音とは、「御子に関するもの」とパウロは説明します。福音とは、神の子キリストを語ることです。この中心点がズレるとき、教会で語られる説教が律法中心となり、信仰者としてどうあるべきかという人間中心の説教となります。そのため、「~してはならない」「~しなければならない」というような禁止や命令が多く語られ、その説教は人を解放するところの喜びの知らせではなくなり、かえって人を縛りつけるもの、抑圧するものになります。
 しかし、福音とはあくまで御子キリストを語ることが中心です。私たち人間がどう生きるべきかよりも先に、神が私たちのために何をしてくださったのか、を語るのが福音です。すなわち、神が人となってこの世に来てくださり、十字架に死に、三日目に蘇ってくださいました。
 この福音の出来事に対する人間側の応答が、「これがわたしたちの主イエス・キリストです」という告白です。パウロとローマの人々を結び、現代に生きる私たちをも結び付ける接点がココにあります。キリストの十字架による喜びの知らせを聴いた者たちは、「あなたこそ私たちの主」と同じ一つの告白をし、共に神の前にひれ伏す者とされるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)