「多くの証人に囲まれて生きる」
(ヘブル12:1-2)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 神の前に正しく歩んでいたヨブが突然の災難に見舞われ、一日のうちに10人の子どもと全財産を失い、さらには全身に悪性の腫れ物ができてもだえ苦しむようになりました。
 そこへ、3人の友人がヨブを慰めるためにやってきました。喪に服する時が終わると、彼らはヨブの隠れた罪を暴こうとして責め始めました。このような災難に遭うのは、何か大きな罪が隠れているに違いないと考えたのです。いわゆる因果応報のこの考えが、どれほど私たちを苦しめることでしょう。クリスチャンでさえも、大きな苦しみや悲しみに遭った人に対して、その出来事を勝手に解釈したり、安っぽい励ましの言葉をかけようとすることがあります。しかし、人間に過ぎない私たちには全ての出来事を理解することなど出来るはずはありません。
 友人たちとヨブとの議論が尽きたとき、神がついに沈黙を破り、ヨブに語りかけられました。それは、「なぜ正しい人が苦しむのか」という問いに答えるものではありませんでした。反対に、神への疑問を持っていたヨブに対して、神は逆に問いかけられました。「あなたは何者か」と。それは、いつの間にか神の位置に自らを置こうとしていたヨブの愚かさを気づかせる問いでした。そして、この世界のすべてを治めておられる神がおられることを教えるものでした。そのとき、ヨブは「なぜ」と問うことをやめました。神に対する絶対的な信頼が、そうさせたのです。
 私たちも、たとえどんなことが起こっても、神の愛の御手に握られていることを信じるとき、その人生を「これでよし」と受け止めることができるように変えられるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)