「偶像を求める心」
(出エジプト32:1-10)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主とイスラエルの民との間で契約が結ばれた後、モーセは再びシナイ山に登っていきました。ところが、そのモーセはいつまで経っても戻って来ませんでした。不安に囚われた人々は、アロンのもとへやってきて、モーセの代わりに導いてくれる神を造って欲しいと懇願しました。彼らは目に見える偶像を求めたのです。
 民の大きな問題は、モーセがいなくなったことにより、モーセが語っていた神までいなくなったかのように受け止めてしまったことでした。神がいなくなったわけではないため、彼らはモーセに代わる指導者を求めるべきでした。ところが、モーセの代わりになる神を求めるということは、人々にとってモーセは実質上の神になってしまっていたということです。神ならぬものを神とする、偶像礼拝の心がすでに彼らの心の中に潜んでいたのです。
 民の要請に応えて、アロンは金の子牛像を造らせます。十戒の第一戒だけでなく、偶像を造ることを禁じた第二戒をも破ってしまいました。彼らが求めたことは、自分たちのために神を造ることでした。それは、自分たちの役に立つ、自分たちに仕えてくれる神を求めたということです。これこそ、偶像礼拝の心です。彼らは、奴隷となっていたエジプトの国から導き出してくださった主を信じ切ることができませんでした。
 私たちが信じ仰ぐお方は、私たちのために十字架で命を捨ててくださるほどのお方です。そのお方は、人生の終わりに至るまで、私たちを背負い続けてくださいます。この恵みの神が分かるとき、私たちはもはや、他のいかなる存在をも神として慕い求めることから解放されるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)