「私たちの内に住まわれる神」
(出エジプト29:38-46)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 幕屋建設のための設計図をモーセをとおして語る中で、主は「わたしはイスラエルの人々のうちに住んで、彼らの神となるであろう」と告げられました。民のただ中に主が住んでくださるということは、「彼らの神となる」ということです。エジプトで奴隷となっていた民にとり、主が彼らの中に住み、彼らの神、主となってくださる、それこそ本当の意味での救いでした。
 ヨハネによる福音書は、この荒野を旅する民の中に主が住んでくださった出来事を下敷きにしながら、神の子イエスが人となってこの世に来てくださった事実を記しました。「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」(1:14)。この「宿った」という言葉は、「幕屋住まいをする」という意味の言葉が使われています。しかも、ここで使われている動詞の時制は、歴史のある一点に起こった歴史的出来事を表現するときの時制です。神の御子が、人間の姿をとって、この世界に誕生されたという事実を驚きをもって語るのです。
 このことを記すヨハネは、12弟子のひとりとして、主イエスその目で見、その声を聞き、その体に触った人でした。最後には十字架で私たちのために死なれた救い主を目にしました。そのことを、「わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」と語りました。神でありながら人間となり、十字架の死に至るまで低きへと降られた御子の姿に、神としての栄光と溢れる恵みを見たのです。
 神の子の到来に対して、私たちは「ここに住み給え」と主イエスを心の中心にお迎えしたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)