「至聖所への道」
(出エジプト26:31-35)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 25章から31章まで、どのような幕屋を造るべきかが語られています。幕で造られた建物は、聖所と至聖所の二つの部屋に分けられました。聖所には、祭司のみが入ることが許され、一般の民が中に入ることはできませんでした。
 そして、聖所の奥にある至聖所には、大祭司だけが、しかも年に一度、「贖罪の日」だけ入ることが許されました。至聖所は、そこに神がおられるとされた最も神聖な場所であり、罪を持った人間が神に近づくことなど出来なかったのです。罪を持ったままで神に近づくなら、神に打たれて殺されてしまうからです。
 そこで、この至聖所に大祭司以外の人が入ることがないように、聖所と至聖所とを仕切る垂れ幕が設けられました。この幕は、罪を持った人間は神に近づくことはできないことを表す幕でした。それは、神と人間との間に深い断絶があることを示すものでした。
 新約聖書は、この神と人間との間を橋渡しする仲保者として、大祭司として、御子キリストがこの世に来られたと告げます。この大祭司は、動物の犠牲ではなく、自らを十字架にささげることにより、贖いのみわざを成し遂げてくださいました。私たちの罪は完全に赦されたのです。そして主イエスが十字架で死なれたとき、神殿のこの垂れ幕が真っ二つに裂けたと福音書には記されています。もはやこの隔ての幕は必要なくなった、と神が宣言してくださったのです。
 だからこそ、私たちはもはや遠慮することなく、大胆に神に近づくことができます。私たちのために、大祭司キリストがおられるからです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)