「静止による神のわざ」
(出エジプト20:8-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 十戒の第四の戒めとして出てくる「安息日」という言葉は、「中止する」という意味の言葉から来ています。それまでのすべての働きを中止する日が安息日です。天地を創造された主が、第7の日には働きを止めて休まれ、その日を特別に安息日として記念されました。31章には、安息日の規定を破る者は必ず殺される、とさえ言われています。すなわち、私たちの命に関わるほどの大切な戒めであるということでしょう。
 神がこのように厳しく命じられるのは、私たちが神に命じられなければ、自ら休むことをしないからです。私たちは、神のみ前に自ら進み出て、心と体と魂を休息させることをなかなかしようとしないものです。もし、一週間のうちで日曜日のこの時間に礼拝をささげる、ということが決まっていないとしたら、私たちは自発的にどこかの時間を取って礼拝に集うことができるでしょうか。次々と用事が入り、普段の働きを一時中断し、神の前に静まるということをしなくなってしまうのではないでしょうか。そのように休むことのできない私たちに対する、これは神によるドクターストップです。「そのままではあなたがたは人として死んでしまう」と主は告げられるのです。私たちを愛するからこそ、主はあえて静止の命令をされるのです。
 神の命令に従い、週に一度、それまでの働きを止めて、神のみ前に自らを休めます。私たちが自らのわざをやめるとき、そのときこそ、私たちの内で神の霊が豊かに働いてくださいます。み言葉をとおし、私たちを造り変える再創造のわざを神がなさいます。礼拝によって、私たちは新しい命に生かされるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)