「他者のために何をすべきか」
(マタイ7:12)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 大きな地震に見舞われた熊本教会を訪問しながら、黄金律とも呼ばれるこの聖句を思い起こしていました。主イエスは、聖書が語っていることはこれである、と言われました。
 主イエスはここで、他の人のために何かをしてあげようというとき、自分に置き換え、「自分だったらどうだろうか」と考えることから始めるようにと言われます。自分がして欲しいと望むことを、相手にしてあげるようにというのです。このとき問題となるのは、私たちが思いつくことが、必ずしも相手もそのように望むとは限らないということです。こちらの思いと、受ける側の気持ちとにズレが生じるのです。そのとき、私たちは自分の考えを相手に押しつけようとすることがあります。相手が何を願うかよりも、自分がしてあげたいことをしようとするのです。隣人を愛するときにでさえ、私たちは自己中心になってしまいます。
 人を愛するということは、相手を中心にして考えることです。そのために、相手の僕のようになって仕える姿勢が必要となります。そしてそれを実践しようとするとき、私たちは自らの愛が足りないことを痛感させられます。だからこそ、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」と約束された主に、愛を求めるしかありません。神は求める者たちに良いものを与えてくださると約束されました。事実、父なる神は、私たちの救いのために、最も良いものである御子キリストを与えてくださいました。その御子は、私たちのために命をさえ与えてくださったのです。
 このキリストの愛を受けるとき、私たちは初めて、他者に仕えて生きる力が与えられるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)