「愛は罪をおおう」
(第一ペテロ4:8)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 人は自分に罪や過ちがあると思うとき、自分の顔や存在そのものを隠そうとするものです。これに対して、周りの人はそれとは反対に、その隠れている罪を暴こうとします。
 ペテロはそのような私たちに対して、「何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである」と勧めます。他者を愛するということは、その人の罪を暴こうとするのではなく、その罪を覆ってあげることであると。それは、罪をうやむやにすることではありません。罪を罪として認めた上で、それを覆うのです。これは、罪の赦しを意味する旧約聖書的表現です。
 「罪をおおう」と聞くと、それは甘やかしの態度であるように思う人がいます。罪を暴くことのほうが正義であると考えるのです。しかし、私たちの中に、他人の罪を責める資格のある人など果たしているでしょうか。私たちはお互い、罪を持った者たちなのです。
 罪を責められるだけでは人は変わりません。自分が赦されていることが分かったとき、真の悔い改めがそこで起こります。ペテロ自身、主イエスが捕らえられたとき、主を三度も否定するという大きな失敗を犯した人でした。そのとき、主イエスはペテロを責めるのではなく、彼を赦した上で、彼の回復のために祈られました。ペテロこそ、主によってその罪を覆っていただいた者でした。
 だからこそ、他者の罪をおおってあげる愛に生きるようにと勧めます。それは、私たちも主の十字架によって罪をおおっていただいた者たちではないか、と訴えです。主の十字架の愛に応えて、赦しの愛に生きる者でありたいと願います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)