「だから、こう祈りなさい」
(マタイ6:9-13)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 弟子たちに主の祈りを教えられたとき、主イエスは2回繰り返して、「だから」と言われました。異邦人のようにくどくどと祈るでなく、全てを知っておられる神を信頼して、こう祈りなさい、と言われました。
 前半の三つは、神についての祈りですが、神のためにとりなしの祈りをするのではなく、私たちが神の前でどう生きるべきなのか、その姿勢を整えるための祈りです。私たちが神を第一として生きることを求める祈りです。
 この主の祈りの最後に、「試みに会わせず、悪よりお救いください」と祈ります。試みとは、誘惑と同じ意味です。試練に遭うとき、誘惑にも遭います。何とかして神に信頼させないように、神以外のものに信頼し、神に従うことをやめさせようとする誘惑です。ゲツセマネの園で主イエスが苦しみの祈りをされたとき、ペテロたち3人の弟子たちは眠り込んでしまいました。そのとき、「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」と命じられました。私たちは自分の力で悪の力に勝つことはできません。だからこそ、目をさまして、すなわち、自分の弱さを自覚しつつ、主の助けを祈り求めることが必要です。
 私たちが自分の力を過信し、誘惑に対しても眠ったような状態でいると、悪しき者の誘惑に無意識で反応してしまいます。そのために、言葉や行動において誰かを傷つけてしまったりします。
 私たちは、自分の力ではサタンの誘惑に勝つことなどできないと深く自覚するからこそ、心の目を覚まし、主の助けを求めて祈り続けようではありませんか。
(「静まりのセミナー」講師 太田和功一師)