「罪人を捜し求める主」
(ルカ15:1-7)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主イエスのもとに多くの罪人、取税人が集まっているのを見た律法学者やパリサイ人たちが、主イエスの態度を非難しました。そのような人々は、神に捨てられても当然の者たちであって、主イエスのように人々に律法を教える教師たる者が関わるべきではない、と言うのです。

 これに対して主イエスは、譬え話をもって律法学者たちの誤りを指摘されました。百匹の羊を飼っていた者が、そのうちの一匹がいなくなったら、その一匹を捜し歩かないであろうか?と。自分の力では帰ってくることができない羊のために、九十九匹を野原に残して、見つかるまでその一匹を捜し歩くに違いない、と語ります。そして、見つけたなら、大喜びで帰ってくるであろう、と。
 そのように、天の神にとって、「このような部類の人間は捨てられても仕方がない」というような人は存在しない、ということです。神は、ご自分のもとから離れ、失われてしまっている人々のことを、痛みと悲しみをもって捜し求めておられます。私たち一人一人は、神によって捜されている者たちです。神にとって、滅ぼされてもいい人など一人もいません。失われた一人をどこまでも捜し求めるお方です。
 これを語られた主イエスは、私たち失われた者たちを捜すために、人となってこの世に降りてきてくださいました。そればかりか、私たちを救い出すために、十字架でご自分の命を捨ててくださいました。
 神を信じるということは、「この私も神によって捜されている」と認め、受け入れることです。主の招きに応えて、父なる神のもとに帰ろうではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)