「私たちは神の宝の民」
(出エジプト19:1-6)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 エジプトを出たイスラエルの民がシナイ山のふもとに来ると、主は彼らと契約を結ぶことを提案されました。それは、主が彼らの神となり、イスラエルが神の民となる、という特別な関係に入ることを意味しました。そのことを、「あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう」と言われています。
 神の宝の民となることが何を意味するのか、その一つは、「聖なる民」となることです。この聖とは、神のために特別に区別されることです。それは、神の一方的な恵みによる選びです。彼らが特別に優れていたわけではなく、むしろ、他の民族に比べても、力のない小さな存在でした。それにも関わらず、神はイスラエルを特別に選んで、彼らをご自分の民とされたのです。
 そのようにイスラエルを選ばれたのには、目的、意図がありました。それが、「あなたがたはわたしに対して祭司の国となり」と言われていることです。祭司とは、神と民との間に立って、両者を取り持つ働きをする役目が与えられています。イスラエルは、神と他民族との間に立ち、神の恵みを取り次ぐ働きをするようにと言われたのです。アブラハムに告げられたのと同じように、イスラエルは祝福の基となり、彼らをとおして他の民族が神の恵みにあずかるように、神は彼らを選ばれたのです。
 私たちキリスト者は、「新しいイスラエル」と言われます。私たちは神の聖なる民であり、祭司の務めが与えられています。神はそのように私たちを宝と見ておられます。私たちのために命を捨ててくださった主の恵みに応えて、主を宝として生きる私たちでありたいと願います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)